u n a s t o r y

una とふしぎな星

第一部
作 moof
目次
  1. プロローグ
  2. 第一話 ロケットの行方
  3. 第二話 ふしぎな星
  4. 第三話 てがみ
  5. 第四話 氷の国(前編)
  6. 第五話 氷の国(後編)
  7. 第六話「ベールの老師」
  8. 第七話「目撃者」
  9. 第八話「香りの国」
  10. 第九話「人さらいの国」
  11. 第十話「雪男」
  12. 第十一話「森の国」
  13. 第十二話「cuna(キューナ)」
  14. 第十三話「音の神様」
  15. 第十四話「幻の崖」
  16. 第十五話「火の海」
  17. 第十六話「箱舟」
  18. 第十七話「かつての星へ」
  19. 第十八話「エピローグ」
  20. あとがき

プロローグ

ずっと、ずっと遠くのお話です。

沈んだ星

その星では、むかし栄えた文明の持ち主たちは、もういません。誰も使わなくなった工場も、廃墟のビルも、ほとんどが水の底に沈みました。たくさんいたはずの生きものも、いつのまにか消えていました。

それでもその星には、小さな生きもの——unaたちが、何世代も暮らしていました。けれど、unaの住む場所も、すこしずつ水に沈んでいきます。

そこでunaたちは、ちがう星へ旅立つために、ロケットを作ることにしました。できるだけたくさんのunaが乗れる、大きなロケットを。

誰が言い出すでもなく、unaたちは、わずかに残った乾いた土地へ、先人の残した部品を運びはじめました。部品は、水に沈んだ工場のあちこちに散らばっています。とほうもない量です。それでもunaたちは、不平も言わず、毎日、毎日、運びました。雨が降っても、風に飛ばされても、毎日、毎日。永遠に終わらないように思えました。

——ずいぶん年月がたった、ある日。ついにunaたちは、部品をロケットの形に積み上げました。長くかかりすぎて、乾いていた土地にも水がたまり、足元はぬかるんでいます。

unaたちはバンザイと声をあげ、乗りこみました。みんなで作ったのに、乗れたのはたった50ぴきほど。乗れなかったunaたちは、まわりで飛び立つのを見上げています。

はりきってボタンを押しても、ロケットはうんともすんとも。——ただ積み上げただけで、動くわけがないのです。

ぬかるんだ足元が、ぶくぶくと泡をたてました。気づいた一ぴきが知らせます。みんなが見つめるなか、地面はロケットの重さに耐えきれず、ぐらり、と傾いて——

ドドーン。大きな音とともに、ロケットは倒れました。下に集まっていたunaたちも、中のunaたちも、押しつぶされてしまいました。

下敷きをまぬがれたunaたちは、しばらく音に驚いていましたが、やがてまた部品を運びはじめます。もう一度、積み上げるために。近くに乾いた土地はもうなく、ずっと遠くまで運びました。また何年もかかりました。

崩しては、積み、乗りこんでは、動かず。そのたび大喜びし、そのたび作り直す。長い雨がつづき、乾いた土地はほとんど消えました。どれだけの時間がたったのか、もう誰にもわかりません。

それでもunaたちは、また積み上げました。水に沈んだ地面から、みんなが見上げるなか(——もう、そばには近づきません)、一ぴきがスイッチを押すと、ブーンと鳴き、次の一ぴきでエンジンが動き、次の一ぴきがレバーを引くと、煙がたちこめ——赤いスイッチが押されたとき、ロケットはついに空へのぼっていきました。

下のunaたちは、煙のなかで大歓声をあげました。それがどこへ向かったのかは、誰にもわかりません。残されたunaたちは、ただ、ただ、うれしくて、消えた空に、いつまでも声をあげていました。

ロケット、空へ

第一話 ロケットの行方

ドドドーンと、空に消えていったロケット。
かたかたと震えるその中で、unaたちの宴会がはじまりました。
(宴会といっても、食べるものも、飲むものも、ないのですけれど。)
あるunaは得意げに太鼓を叩き、あるunaは足をばたばたさせて踊り、あるunaは、ずっとくすくす笑っています。みんな、うれしくてたまらないのです。
ときおりロケットがぐらりと揺れても、その振動さえ、期待と興奮にかき消されてしまうようでした。

ただ、一ぴきのunaだけは、どうも様子がちがいました。
みんなと同じように騒いではいるのですが、ずっと、うたを歌っているのです。
unaは音がすきです。歌ったり、太鼓を叩いたりを、好んでやります。だから、うたを歌うことなど、めずらしくもありません。
そのunaが、ほかのunaとどこがちがうのかというと——歌うのを、やめないのです。
ほかのunaたちは、さんざん騒ぐと疲れて眠ってしまうのに、このunaだけは、休むことなく、ずっと歌いつづけているのでした。

宴会と歌うuna

——ところで、このロケットには、困ったことがありました。
食べるものがありません。飲むものもありません。積んであるのは、太鼓や、布きれや、役に立ちそうにない釣りの道具や、中身のない小さなツボ。進む先は、どこにも定められていません。燃料も、そう多くはありません。
つまり、このロケットは、このままでは、どこにも着かないのです。
けれど、乗っているunaたちは、そんなことには気づいていません。騒いでは眠り、起きてはまた騒いでいます。あるunaなどは、すっかり興奮して、何度も座席からすべり落ちては、笑い転げました。
通路も壁もライトを内蔵していて、ロケットの中はどこも明るく、unaたちは、なんともしあわせな気持ちにつつまれているのでした。
どん、どん、と太鼓の鳴る、静かな宇宙のなかの、ちいさな大騒ぎ。

歌いつづけているunaは、だんだん声がかすれてきました。
このunaは、こう思いこんでいたのです。
(うたを歌うのをやめたら、死んでしまう)
どこでどう勘違いをしたのでしょう。はたから見れば、むしろ、歌うのをやめないほうが、死んでしまいそうでした。
眠っていたほかのunaが目を覚まし、なにも見えない窓の外をうれしそうに眺めているあいだも、そのunaは、かすかな声をふりしぼって、歌っていました。
ロケットは、そんなunaたちをのせて、ただ、ただ、進みつづけます。

——そのころ、地上に残されたunaたちは、どうしていたでしょう。
ばんざーい、ばんざーいと、飽きもせず空を見上げていたunaたち。希望のロケットは、もう、飛んでいってしまいました。
食べ物と飲み物が、ほんの少しだけありました。それをみんなで分けました。夜には、ロケットのあったくぼみに、みんなで入って眠りました。朝になると、また空を見上げました。そのうち一ぴきが、ばんざーい、とはじめると、おもしろがって、ほかのunaも、ばんざーい、とはじめるのでした。
——小さな生きものを飼ったことのある人なら、わかるかもしれません。小さな生きものは、弱っているところを、なかなか見せないものです。弱みを見せれば、すぐにほかの生きものにやられてしまうから。だから、ぎりぎりまで、虚勢をはるのです。
unaたちも、そうでした。

さて、ふたたびロケットの中。
ほとんどのunaは、ただ楽しそうに過ごしています。ごくたまに、どん、と太鼓が鳴ります。
では、歌いつづけていた、あのunaは——なんと、席を立って、歌いながら歩いていました。ふらふらしています。もう、声もほとんど出ていません。
こう考えたのです。(声が出ないのだから、音のしないところで歌わなくては。)
座席のあいだをぬけ、いちばん前まで来ると、危なっかしい足どりで、ハシゴをのぼりはじめました。最初に乗りこんだときの、あのハシゴです。やっとのことで、ひとつ上の部屋にのぼりました。それでもまだ下の音が聞こえるので、さらに上へ行こうとしましたが、もう、そのちからは残っていませんでした。
unaは、すこしでも大きな声を出そうと、部屋にあった白い台の上にのぼり——ちからが入らず、ころんでしまいました。転がりながらも、それでも、うたはやめませんでした。

その時、ぴぴぴぴぴ、と電子音が鳴りました。
転んだ拍子に、なにかにぶつかったのです。
unaは、鳥が歌っているのだ、と思いました。
それを聞いて、unaは、ついに歌うのをやめました。
——もう、自分が歌わなくても、鳥が歌ってくれているから、だいじょうぶ。
そう思って、目を閉じ、そして、二度とあけることはありませんでした。

鳥のうた

それは、ロケットの進路を、ひとりでに変えるスイッチでした。
ロケットは、ぐん、と向きを変えていきます。
——もしかすると、あのunaの思いこみは、当たっていたのかもしれません。あのまま、だれも歌うのをやめてしまっていたら、どこにも着かないロケットの中で、みんな死んでいたのですから。
もちろん、あのunaは、そんなことを考えていたわけではないでしょう。ただ、歌わずにいられなかった。それだけです。
でも、「unaらしい」というのは、きっと、こういうことなのです。

その先に、星が見えてきました。
青い、きれいな星でした。
それを見つけた下の階のunaが、どん、と、小さく太鼓を打ちました。

青い星

第二話 ふしぎな星

ロケットは、大きな手にふりまわされるように、ぐわんぐわんとうめき声をあげました。やがて、がつん、と大きな音がして中がまっくらになり——unaたちはみんな、気を失いました。

墜落
* * *

一ぴきのunaが、ようやく目を覚ましました。どこかにぶつけたのか、鼻血が出ています。手さぐりすると、自分が荷物棚の中にいるのがわかりました。よろよろと這い出して、unaは驚きました。——ロケットには、誰一人いないのです。
「わー!」と大声を出してみました。びっくりして誰か出てくるかも、と思ったのです。でも、なまぬるい空気と、くらやみがあるだけ。おなかはぐーぐー、のどはからからです。

独り目覚め

それでもunaは、ふたつのことだけ、ぼんやりと考えていました。ひとつは、みんなが住める場所を見つけること。もうひとつは、故郷に残してきた仲間を、そこへ連れていくこと。
ロケットのみんながどこへ消えたのかは、わかりません。わからないことだらけです。でも、unaは知っていました。——動かなければ、なにも進まない、と。

unaは最上部までのぼり、ハッチをあけました。
そこは、樹の世界でした。何層にも樹がからみあい、地面は見えません。下をのぞいても、底なしの闇。空には、ロケットが落ちた小さな穴から、かろうじて星が見えました。夜のようです。ロケットが立っている場所さえ、巨大な樹の一部でした。

樹の世界

とことこ歩いていくと、顔のついた花が、ぶら下がっていました。
「あれ?」と、花。「またまた」と、別の花。「そうともしらずに」と、さらに別の花。
unaはかまわず歩いていきます。振り返ると、もうロケットは見えませんでした。

* * *

「こ、こらぁぁぁ!」かん高い声。でも、誰もいません。足元に、とても小さくてふとった男が、顔を真っ赤にして怒っていました。
「お前はぁぁ、勝手にひとの家に入ってきてぇぇ! このドアからこっちは、ぜんぶ、わしの家じゃあ! ここに、そう書いてあるぅぅ!」と、小さな紙きれをふりかざします。
それにかまわず見回すと、黒い樹の裂け目から、シロップが流れ、たくさんの生きものがむらがっていました。
「……アレ、のんじゃいかん」と、男が急にいいました。「アレのんだら、大事なこと、ぜんぶ忘れてまう」
見ると、シロップを飲んだ生きものは、ふらふらと、つぎつぎに樹から落ちていきます。
「あの樹を通り過ぎれば、食うものでも飲むものでも、なんでもあるさ」
unaは、夢中の生きもののあいだをぬけていきました。誰も、unaを見る者などいません。

* * *

とつぜん、森がひらけました。大きなキノコの家やお店が、いっぱいです。匂いはするのに、人影がありません。
unaは、いちばんいい匂いのする超高層キノコに入りました。中はがらんとして、銀色の細い柱が天井までのびています。柱のでっぱりにのぼると——「シュッ」と、ぐんぐん上昇。落ちそうになると、ベルトがunaを捕まえます。「チン」。
目の前のテーブルに、いい匂いのスープ。「ようこそ、当レストランへ。百合根とポワローのスープでございます」と、小さな穴から声。unaはぺろりと平らげました。
また「シュッ」。「フレッシュサラダです」。「ライムソルベ」「鮭ムース」「ローストビーフ」「パン」「ガトーマリアージュ」——出されるそばから平らげ、どんどん上へ。
「本日のメイン、牛バラのトマト煮です」。これも、きれいに。
「では最後に」と、穴。「どちらに、食べられますか? 虎か、ライオンか」
unaは、びっくりしました。——いままで食べてきたのは、虎かライオンに食べられるため、だったのです。
「ご希望がなければ、虎にしましょう」。シュッ。最後の階へ。

きのこレストラン
* * *

そこは、ジャングルでした。イスにしばられたまま、unaは身がまえます。がるるる……という唸り声が、いくつも。たくさんの虎がいる、と思いました。
ところが、現れた虎は一ぴきだけ。けれど、その虎は、たくさんの頭をもっていました。それぞれが、せわしなく唸り、吼え、睨んでいます。
unaは、いちばん強そうな顔を睨み、ほっぺたをふくらませました。虎はおかまいなしに、前足でぺし、とひっかきます。unaの体から、すごい量の血。手前の頭が噛み砕こうと口をあけた、その時——「ガアアアア」と、いちばん上の頭が吼え、手前の頭が口を引っこめました。
unaの意識は、すうっと遠のいていきました。

多頭の虎
* * *

目を覚ますと、unaは大きなたんぽぽの上。服はぼろぼろ、でも傷はふさがっています。
「カン違いするな」「カン違いするなよ」と、虎。いちばん上の頭が言ったことを、右下のずる賢そうな顔が、復唱しているのです。
「お前に、よく似た奴のことだ!」「似た奴のことだよ」「あいつは、オレをだましやがった!」「だましやがった!」
——むかし、unaに似た奴が、虎の頭を切り離してやると約束した。けれど、カプセルに入ったきり、出てこない。だましやがった、と。
「あいつを、食い殺してやる!」

* * *

岩に囲まれた、薄暗い場所。首ねっこをくわえられたunaは、岩に叩きつけられました。
「そいつを出せば、助けてやる! そいつを、外に出せ!」
unaが「それ」を見ると——透明なカプセル。中を見て、腰がぬけるほど驚きました。プラチナ色の髪をした、自分にそっくりな生きものが、白いパイロットスーツを着て、眠っていたのです。
まわりには、虎の牙のかけらと毛が、ごっそり。何度も壊そうとしたにちがいありません。
「手を当てて開けろ!」
unaは、窮地に立たされました。あけなければ、自分が食いちぎられる。あければ、この生きものが殺される。
こういう時、unaはなにを考えるのでしょう。——おそらく、なにも考えません。ただ、感じるがままに動くのです。そして、それが活路を開くことも、少なくないのでした。

カプセルの発見

とつぜん、unaはけらけらと笑いはじめました。笑い声はだんだん大きくなり、立っていられないほど、大笑いしてしまいました。
睨んでいた虎の一ぴきが、ついつられて「グフ」。「だれだ、笑ったのは!」と上の頭が叫ぶと、あたりはシーン——それが逆に、笑ってはいけないという妙な緊張を生みました。
unaは急にまじめな顔で、なぜか、ぺこりとおじぎ。みんな顔をそらします。が、また一ぴきが「クフ」。
そうなると、unaも本領発揮です。深々と頭を下げ、——おそろしく音程をはずして、歌を歌いはじめました。(さいわい、このunaは、ひどい音痴でした。)ほかの頭も、こらえきれず笑ってしまいます。
「笑うな!」「かみ殺すぞ!」とわめいても、むだでした。長いあいだ、笑うことなどなかったのでしょう。笑いとともに、虎たちを支配していた恐怖が、うすれていきます。
「いま食っちまおう」「こいつはオレのものだ」「命令だ」「まだ食うな」——頭どうしが、言いあらそい、噛みつきあいはじめました。頭はちがえど、体はひとつ。虎は、びくびくと痙攣しながら、ついに崩れ落ちました。
それを見て、unaは、音をはずしながらも、悲しみの歌を、歌いました。

* * *

unaは、カプセルの手形のところに、手を当てました。
カプセルは、音もなくひらき——
プラチナ色の髪をした、自分にそっくりな生きものが、ぼんやりと、目をあけました。

第三話 てがみ

その生きものは、焦点が合わないのか、何度かゆっくり、まばたきをしました。
unaは、顔を近づけ、くんくんと匂いをかぎ、「うな?」と聞いてみました。
その生きものは、かすれた声でいいました。
「わたしは……huna。氷の国の……」
目を閉じ、しばらく考えたあと、あきらめたように、「……思い出せない」と、つぶやいて、だまりこみました。

huna目覚め
* * *

unaは、この子も弱っているのだと思いました。虎に傷つけられたとき、たんぽぽの上にのると楽になった——それを思い出します。
ぐったりしたhunaを背負いますが、いまは引きずるのがやっと。すぐに転び、そのたびに体力をけずられます。
とつぜん、血の匂いが強くなりました。振り返ると——死んだはずの虎が、のろのろと近づいてきます。ほとんどの頭は動きませんが、いちばん上の頭だけが、ものすごい形相で、特にhunaを睨んでいました。
勇敢なunaは、棒きれを拾い、わー、と向かっていき——すぐ転んで、草むらに消えました。虎は、転がったunaには目もくれず、hunaに迫ります。
うつぶせたunaが顔をあげると、気の荒そうな茶色い馬が、こちらを見ていました。unaは迷わず飛び乗ります。馬は待っていたように草むらを飛びこえ、虎の背後に出ると、さっとhunaをくわえ、走り去りました。虎は崩れ落ち、二度と目を覚ましませんでした。

umaの救出
* * *

馬は、unaたちをたんぽぽの上にのせ、根もとに座りました。助けてくれただけでなく、ちゃんと、たんぽぽまで連れてきてくれたのです。(まるで、わたしの考えがわかるみたい)とunaは思いました。
花の上で、二人は眠りました。馬は見張ってくれているようです。
やがて目を覚ますと、ふしぎと穏やかな気持ちになり、力もすこしずつ戻ってきます。

たんぽぽで休む

hunaは、ぼろぼろの服に気づくと、まっさきに眉をひそめました。
「……ひどい有様」
泥のついた袖を指先でつまみ、体から遠ざけます。「わたしは、こんな格好を、人に見せる者ではないの」
誰に言うでもなく、けれど、ちゃんとunaに聞こえる声で。
unaは「きれい」といいました。本当にそう思ったから、いっただけです。
hunaは一瞬つまり、「……当然でしょう」とわざと澄ましてみせましたが、耳のあたりが、ほんのり染まっていました。(unaは気づきません。)

hunaの見栄ときれい

咳ばらいをひとつ。hunaは、記憶をたどるように、ぽつり、ぽつりと話しはじめました。聞いたこともない、ふしぎな国の話でした。
「氷の国には、氷でできた家も、車も、ノートも鉛筆だってあるの。」
その口ぶりは、だんだん得意げになっていきます。「あらゆるものが氷と水でできていてね。熱い氷、やわらかい氷、甘い氷もある。青い氷、オレンジの氷、金色の氷——」
そこまで誇らしげに並べて、ふと、表情がかげりました。「……そして、黒い氷」
なにか思い出しかけて——やめたようでした。カプセルで過ごした数年が、記憶を奪っているのです。
unaにはちんぷんかんぷんでしたが、そんなことより、新しい友だちができたことに、わくわくしていました。

「あなたの名前は?」とhuna。
「うな!」
「それは、種族の名前でしょう。」とhunaは、すこし呆れたように。「あなた自身の名前を、教えて。」
unaは困りました。unaはunaで、ずっとunaだと思っていたのです。それがunaじゃないとしたら、何なのでしょう。
不安そうなunaを見て、hunaは質問を変えました。「……まあ、いいわ。あなたは、なにをしているの?」
そこでunaは、いっしょうけんめい話しました。星が水浸しになったこと、仲間がいなくなったこと、みんなを助けなきゃいけないこと——。要領を得ないunaの話は、聞き終わるころには、すっかり夜中。
hunaは、ときどき「長いわね」とこぼしながらも、最後まで、辛抱強く聞いてくれました。そして、こういいました。
「ロケットを直すのは、お金がいるでしょう。」
unaは困りました。お金は知っていましたが、もっていません。
「お城に戻れば、なんとかなるわ。——わたしほどの者が、助けてあげられないわけが、ないもの。」
つん、と顎をあげて、けれど、その声には、ちゃんとした責任のひびきがありました。
unaは、すっかりhunaが好きになりました。助けてくれるから、ではありません。——自分の話を最後まで聞いてくれた人は、はじめてだったのです。まるで、お姉さんができたみたいだ、とunaは思いました。

「まずは、ここを脱出しましょう。」とhuna。「キノコの塔には、夜になると外に通じる穴がふたつできるの。そこをすべり降りれば、外に出られる。」
hunaは、自分がなんとなく口にした言葉に驚きました。——どうして、そんなことを知っているのでしょう。

一行は、キノコの穴をらせん状にすべり降りていきました。目が回ります。hunaは目を回しながらも、説明をやめません。「この樹々の下には海が広がっていて……その底に、氷の国があるの。」
出口で木の実を集め、長旅に備え、いちばん太い樹の裂け目に入っていきます。中は階段状にけずられ、どこまでも下へつづいていました。

きのこの塔
* * *

薄暗い幹の中を、黙々と降りつづけました。上を見ても下を見ても同じらせん階段。同じ場所を回っているだけではないか、とさえ思えます。木の実も底をつきました。
unaは、hunaについていきたい一心で、うつらうつら歩き——ついに歩きながら眠ってしまいました。後ろの馬が、器用にunaをくわえ、背にのせます。hunaも限界で、気がつくと馬の背に。その背でunaが、すやすやとしがみついています。馬は、どこまでも、階段を降りていきました。

* * *

unaが、潮の匂いをかぎつけました。馬も足どりが怪しくなり、hunaは休むことにしました。
海面に近い樹の中には、食べられる実が生えていることがあります。hunaは壁をさぐり、「ねむり実」を見つけました。ひとつ食べると半日ぶんの眠りが得られる、ふしぎな実です。全部で十粒。unaとhunaは二粒ずつ、馬は三粒、残り三粒は予備に一粒ずつ。
口にいれると、頭の鈍い痛みが、すうっと消えました。みんな、うそのように、いい気分です。
これなら、どこまでだって、歩いていけそうでした。

* * *

らせん階段は、やがて、海の底を走る汽車の駅へと続いていました。一行は、汽車に乗りこみます。窓の外は、深い、深い青。眠ってしまった uma の隣で、una も、うとうとしはじめました。
「起きて。」と、huna が、そっとささやきました。「つぎの駅で、すこしだけ、降りてみましょう。」
眠った uma を起こさないよう、huna は una だけを連れて、汽車を降りました。透明なドームの駅に、《 博物館別館前 》とあります。改札にも待合室にも、誰もいません。

——じつは huna は、らせん階段を降りるあいだ、ずっと、いやな予感がしていました。お金がなければ、氷の国へは進めない。しかも、このあたりは、人さらいや標本売りのうろつく、危うい土地。とりわけ、純血の una は、そういう者たちが、いちばん欲しがる“珍種”なのです。
ガラス張りの白い建物に入ると、壁も天井もガラスで、まるで海の底。見たこともない魚が、ゆらゆらと浮かんでいます。una は、ガラスに顔をはりつけて、大はしゃぎ。よく似た二人の、調子はずれの歌が、館にひびきました。
皺だらけの豚の館長は、二人を見るなり、目を輝かせます。「これはこれは……珍しいものが、二つも。中央博物館も、喜ぶ。だが、規則でな。一品種、ひとつだけ。」その視線が、ねっとりと、una にとまりました。
——お金が、いる。huna の頭に、ひとつの考えが、よぎりました。(この子を、渡せば。これ以上ない、貴重種。代金も、たっぷり。わたしは、逃げられる。)
館長に、口をひらきかけて——huna は、una を見ました。una は、なんの疑いもなく huna を見上げ、にこにこ、笑っています。
かっと、頬が、熱くなりました。(——わたしは、なんてことを。)恥ずかしさで、胸が、つぶれそうです。
(……だったら、わたしが。)この子を売るくらいなら、自分が——。
けれど、標本室の、白い扉が、目に入ったとたん。足が、すくみました。冷たい汗が、背を流れます。心臓が、痛いほど鳴って、息が、できません。
(こわい。)——どうしても、その一歩が、踏み出せないのです。賢いはずの頭は、まわるのに、体が、いうことを、きいてくれない。
huna は、自分が、なさけなくて、たまりませんでした。
そこで huna は、必死に、別の道をさがしました。——二人で、逃げよう。隙を見て、una の手をひいて、出口へ。huna は、館長の気をそらそうと、あれこれ話しかけ、una を、そっと扉のほうへ、押しやります。
ところが、館長は、にゅっと太い腕をのばし——つかんだのは、huna の、ほうでした。
「お前さんで、いい。」と、館長は、una には目もくれず、いいました。「その子は……まあ、いい。さっさと、おゆき。」
なぜ、una ではなく huna なのか。——その答えは、まだ、ずっと、先にあります。
「ひうな!」と una が叫んでも、分厚いガラスは、もう、声を通しません。ガラスの向こうで、huna は、がたがた震えながら、それでも、una に、何度も、何度も、手を振りました。
館長は、めんどくさそうに、una に、一枚の紙を押しつけます。「あの子は、氷の国へ、後からいくとよ。もう一度汽車に乗って、氷の国で会おう、と。——ほら、もう、おゆき。」
(una を追い払うために、館長が書いた、でまかせの手紙でした。)
una には、字が読めません。けれど、これが、生まれてはじめての——「てがみ」。una は、それを、宝物のように、にぎりしめました。今度の汽車賃にと、館長は、小切手も、一枚、握らせます。
una は、なんだか、へんだと思いました。でも、ひうなが「氷の国で会おう」と言ったのなら、急がなくては。
次の汽車に乗り、una は、さっきまでいた白い建物を、見つめました。
すると、そこから、銀色に光る、小さな箱が、発射されました。気泡が光を反射して、まるで、空が泡立ったようでした。
——それが、何なのか。una は、まだ、知りません。

博物館の別れ

ポケットの「ねむり実」を、ひとつ、口にいれました。汽車は、海の底を、走りつづけます。やがて、窓の外が、まっ白に変わりました。雪のトンネルです。
「お疲れさまでした。——終点、氷の国です。」と、汽車の声が、いいました。

第四話 氷の国(前編)

unaが降りた氷の国の駅は、床も壁も、階段も手すりも、ぜんぶ氷でできていました。天井の氷は鏡のように下を映し、頭の上に、さかさまの世界があるみたいです。
列車を一緒に降りたのは、本をくれた老人と、荷物をかかえた商売人だけ。きらきら光る床の上に、umaが座っていました。
「いた か」とunaは声をあげました。umaは嬉しそうに立ち上がり、unaを背中にのせて歩きます。両壁に自分たちが反射して、たくさんのunaが行進しているようでした。

氷の国の駅
* * *

改札口で、umaが足を止めました。氷の柵のなかに、青白い男がふるえて立っています。
「お、お客さん。請求書の控えを……黄色の小さい紙……え、お金を、もっていない? それは無賃乗車ですよ。寒いんだから、早く……身元保証人は? い、いない、と。」
男は、ひとりでしゃべりながら、ぐるぐる歩きまわります。
「じゃあ、わかった。運賃のかわりに、この馬をもらう。競馬場にでも売って、運賃にする。決まり決まり。」
unaは、とてもびっくりしました。umaを、自分のものだと思ったことはありません。umaは、友だちなのです。
unaがumaの目をじっと見ると、umaは、ぺろりとunaの顔をなめ、服をくわえて、そっと背中から降ろしました。そして、自分から、駅員室へ入っていきました。
小さな窓には、青白い男と、心配そうな駅員の顔。でも、umaの姿は、もう見えませんでした。unaは、事態が、よくのみこめません。

改札のuma
* * *

改札を出ると、氷の断崖の下に、大きな氷の街が広がっていました。建物も道路も、細かな色の氷を組み合わせた、モザイクの街。氷のベンチで本を読むおばあさん、氷のグラスのビールを出すカフェ、赤や青のマフラーの子どもたちが、小さなソリをすべらせています。
unaは、街というものを見るのが、はじめてでした。
老人が氷の壁の赤い突起をおすと、足元から黄色いゼリーがたらりと流れ、むくむくと階段になりました。「ここを降りなさい。」ひよ、ひよ、とふしぎな音をたてて、unaは広場へ降りていきます。
気がつくと、老人はいません。
氷の建物のあいだに、ひときわ光る、立派な建物が見えました。unaは、目を細めて、そちらへ歩きはじめました。

氷の街と老人
* * *

城門に着くと、ひげづらの門番が、出窓からこちらを見ていました。
unaは見上げて、「うなのほし たすけ」といいました。
「入城許可は、もっているの?」と、門番は、なぜか艶っぽい声を出します。unaは警戒しながら、小切手を出し、「……これ か?」
門番は、あたりをきょろきょろ確かめ、氷の棒を出してきました。「それを、先にはさんで!」
unaが「たすけ くれるか?」と聞くと、今度はだみ声で「もちろんよ!」
unaが棒に小切手をはさむと、スルスルと窓に消え——そして門番は、こういいました。
「これは入城許可書じゃないから、開けらんない。帰って。」
「てがみ かえし」とunaはいいました。返事はありません。
「うなのほし たすけ」ともういちど。けれど、もう、人の気配すら、しなくなってしまいました。
unaは、急に眠たくなりました。満足に眠ってもいないし、なにも食べていません。なにか、食べ物を、さがさなくては。

城門の門番
* * *

七色の坂道を戻ると、とても汚い格好の子どもたちがいました。ぼろぼろのシャツ、穴のあいた靴。みんな、寒そうです。
unaはよたよたと近づき、「うなのほし たすけ」と頭を下げました。
いちばん大きな、あざだらけの男の子が、「はてはてな。どこぞから、いらしてか?」と奇妙な言い方で聞きます。
unaがもういちど頭を下げると、その子は「まぁ、いいでますよ。一緒に来なされ。」といいました。

* * *

ついていくと、そこはスラムのような場所でした。氷はヒビ割れ、白くにごっています。
イスにのけぞった長髪の男が、「そいつはなんだ、クモ?」といいました。あざだらけの子は、クモと呼ばれているようです。
「新入りでごぜえす。」
「使えんのか?」と長髪の男はunaを見て、「まぁいい」と、みんなにがなりました。
「今日の狙いは、プラスチックだ。塩ビ、ポリエチレン、なんでも集めて来い。ポリプロピレンは高く買う。ウレタンはいらん。とっとと行け。」
「うぬしも いくでな」と、クモがunaをひっぱりました。

* * *

街はずれの、巨大なゴミの山。強烈な臭いがします。氷やガラスや金属が重なって、穴のあいた靴では危険です。クモはunaの足元を見ると、「まっとれ」と素手でゴミを掘り、ぼろぼろの靴を見つけて、「これ はいとれ」とくれました。
子どもたちは、一心不乱にゴミを掻きわけ、プラスチックをさがします。一人が、ガラスで足を切りました。ボロきれが、みるみる赤く染まります。「大丈夫でるか?」と、指先を血だらけにしたクモが聞きます。「大丈夫」とその子は、血をおさえながら、いいました。
unaも真似をして掘りました。ほこりで、のども目も痛みます。何枚も氷の板をはがすと、奥に、すこし曇った透明なチューブが、鉄パイプにしばりつけてありました。unaは小さな手で、重たい板を一枚ずつよけ、腕も足もガクガクになりながら——ついに結び目をほどき、にっこりして、大切にチューブを持ちました。
「かえろ かいよ」とクモ。みんなの手には、抱えきれないほどのプラスチック。unaの手には、チューブが一本。それを見て、クモは、にこりとしました。

* * *

帰り道。足を怪我した子を、クモがおんぶしています。今日は収穫が多く、みんな嬉しそうです。「今日は、鶏カレー食るな。」「ヨーグルトも食べるかも。」
unaも、なにを食べようかと考えると、だんだん楽しくなってきました。
そこへ、黒い大きな車が通りかかりました。「にげろ!」とクモが叫び、子どもたちは四方へ散りました。
事態がのみこめず、つっ立っていたunaを、降りてきた兵士が、蹴飛ばしました。(くず拾いの子どもは、しばしば、理由のない暴力の的になっていたのです。)
しりもちをついたunaが睨むと、「なまいきな奴だ」と兵士はほほを打ちました。チューブが、手から落ちます。
「なんだ、これ、大事か」と、兵士はおもしろがってチューブを蹴り、ライターであぶりはじめました。燃えだれが、ぽたぽた落ちて、白く固まります。
unaは飛びかかろうとして、転びました。兵士はにやにや笑って車に戻り、窓から、ぽい、とチューブを捨てました。
unaが拾うと、半分以上、白く溶けていました。

* * *

「で、今日の収穫は?」長髪の男が、一人ずつ査定します。お金をもらった子は、すぐ食べ物を買いに走っていきます。
unaも、溶けたチューブを台にのせました。
「なんだ、これは?」
「ひろた」とunaはいいました。
「こんなもん、金にならん。次の奴!」
unaは、がっかりしました。木の実もなく、お金もない。——食べることが、できません。

* * *
氷の宮殿

(——同じころ、氷の宮殿では。)
小さなマルメル王国のコネル殿下は、女王陛下に拝謁する前、侍女から、こっそり耳打ちされていました。
「女王陛下とお話しの際は、氷言葉をお使いください。良いことは冷たい言葉で、悪いことは熱い言葉で。『感動した』は『心が冷え切った』、というふうに。」
「こ、氷言葉……?」
殿下は、頭を真っ白にしながら、対訳表を握りしめ、玉座の薄氷の向こうへ進みました。
「は、はい……今宵のお食事に、心が、感動……ではなく、冷え切りました。しもやけになりそうなほどに……皆様の、とても、さむい舞台を拝見し……クールで、ござりました。氷点下って、感じです。笑顔も、凍るです……」
あまりに不自然な氷言葉に、侍女たちは目を見合わせ、この先なにを言い出すか、気が気ではありません。
すると、薄氷の向こうから、澄んだ声が聞こえました。
「氷の国へ、ようこそお越しくださいました、殿下。——笑顔が凍りつく、というのは、喜びが続く、という意味ですね。私たちも殿下も、恐れは必要としていません。両国の境を溶かすような交流を、いたしましょう。」
カチカチだった殿下の心が、やわらかくほどけ、目の前が、すうっと透き通っていくのが、わかりました。

第五話 氷の国(後編)

その日は、一年に一度の氷上競馬——氷の女王杯の日でした。
薄い強化氷のトラックの下から、観客の歓声が、ぼわん、と響いてきます。
「あの茶色の馬は?」と、女王陛下が一頭に目をとめられました。
若い司祭が、緊張に声を震わせて答えます。「日蝕(にっしょく)、という名です。今回が初レース。馬主はバンバ卿。血筋も、生まれた日も、不明。登録は……三日前です。」
「謎の馬」と、女王陛下はつぶやかれました。

* * *

ツララ銃が、パキン、と鳴り、ゲートが一斉に開きました。
ところが、日蝕(uma)だけが、出たところで止まってしまいます。きょろきょろと、なにかを探すように。観客がどよめき、笑う者までいます。
——と、突然、日蝕はすごい勢いで走り出しました。コーナーでも速度を落とさず、頭を外へ振り、後ろ足をドリフトさせて、抜けていきます。氷を蹴る音だけが、リンクに響きます。コーナーのたび前の馬を抜き去り、残り一周でトップに。誰もが、その走りに釘づけになりました。
「すばらしい」と、女王陛下は立ち上がられました。

氷上競馬
* * *

控え室。バンバ卿は、ソファにふんぞり返ってタバコをすっていました。
女王陛下が「すばらしいレースでした」と声をかけられると、「だれだ」と顔をあげ——次の瞬間、見たこともないスピードで土下座しました。あまりにあわてて、頭が先に床へ「ゴ」と到達し、そのまま、口から泡をふいて気絶してしまいました。
「すぐに医療班を」と女王陛下。司祭が飛び出していきます。
介抱していると、日蝕がしっぽを振って近寄り、頭をすりすりと擦りつけました。女王陛下がその頭をなでた、その瞬間——日蝕は女王陛下をひょいと背にのせ、首をぶんと振り、前足でドアを蹴破り、猛然と走り出しました。階段を駆けあがり、人の間を風のように抜け、競馬場の外へ。女王陛下は、舌を噛まないよう、しがみつくのがやっとでした。

uma女王飛び出し
* * *

この日蝕(uma)は、どこへ向かっていたのでしょう。——そう、unaのところです。
umaは、“偽者のhuna”と“女王huna”を同じだと思いこんで、一目散に、unaのもとへ向かったのです。
やがて、女王陛下は、気を失ってしまいました。

* * *

「ひうな だいじょうぶか?」とunaは聞きました。
女王陛下が、ぼんやりと「……あなたは?」
「うな だ」とunaは元気にいい、「じ も かける」と、木の棒で地面に「ウナ」と書きました。
女王陛下は、よくわからないまま、すこし笑いました。「ここは……どこかしら?」
「これ たべろ」と、unaは最後の木の実をさしだしました。そして「うたうか」と目をきらきらさせ、調子のはずれた声で歌いはじめます。
女王陛下は困っていましたが、unaがあんまり楽しそうなので、つられて歌いました。——とても、上手な唄でした。
「ひうな うまくなつた」とunaはいい、ますます大きな声で歌いました。

坂道で歌う

「うるせぇ!」と、通りかかった長髪の男が、だみ声をあげました。「罰をあたえてやる」と手を振り上げて——unaの横にいるもう一人を見るなり、ぴたりと止まりました。
「ひっ……く、くずひろいなんか、しちゃいけねぇ」と、震えながら「まずいまずいまずい」を繰り返します。
「ひろわなかつたら しんじゃう」とunaがいうと、
「チューブ代!!」と男は声を裏返し、汗だくで「こ、これ、とっとけ」とお金を押しつけ、走り去っていきました。
「どうして、くず拾いを?」と女王陛下が聞きました。
unaは「ひろわなかつたら しんじゃう」といい、それから「ひろつてたら うなのほし しんじゃう」ともいいました。

* * *

umaにのったunaと女王陛下は、七色の坂道を駆けあがり、城門へ。
馬上のunaが「てがみ かえし」といっても、門番は無視します。暗くて、後ろの女王陛下が見えなかったのです。
「開門せよ!」
女王陛下の、びっくりするほど大きな声が、城内に響きわたりました。

城門へ駆けあがる

城内は大騒ぎになりました。司祭たちが数十人、列をなして走ってきて、ひざをつきます。
「騒ぎをおこし、申し訳ありません」と女王陛下は陳謝され、「この者は、私の恩人です。国賓同様に、もてなすように。」とおっしゃいました。
「この馬には、いかなる罰を?」「罰はいりません。この馬も、国賓として。」
「司祭、くず拾いの子どもを、知っていますか? ——国をあげて、取り組まなくてはなりません。」
ふと見ると、unaが、ほっぺたをふくらませて怒っています。取り囲む兵士のなかに、チューブを焼いた、あの兵士がいたのです。
unaは、大きな声で言ってやりました。「うな の くずとるな!」
その兵士は、顔面蒼白で、小刻みに震えました。
「この者が、どうかしたの?」と女王陛下。
「わからん」とunaはいいました。——大きな声で言ってやったので、もう、満足したのです。
(門番からは、なぜか、ひげと一緒に、unaの「てがみ」も返されました。)

氷の女王huna
* * *

その夜、氷の宮殿で、大きな宴がひらかれました。お腹いっぱいになったunaは、席で眠ってしまいました。——ひさしぶりの、眠りでした。
目を覚ますと、何度寝返りしても落ちないほど大きなベッド。起き上がっても、ドアがありません。なんと、部屋ぜんぶが、ベッドなのです。
「目が覚めた?」と、丸い天井の穴から、女王陛下が顔をだされました。そこは、女王陛下の寝室。はしごをのぼると、四方の壁に、長い長い絵巻物(タペストリー)だけが、かかっていました。

宴
* * *

「ひうな これ なんだ」とunaが聞くと、女王陛下はいいました。
「これは、神話の時代から今日までを、編みこんだ絵巻物なの。」
「むかし、神々の国は、平和な楽園でした。」と、鷲のマークの旗を指さし、「神々は、しもべとして、箱に知性をあたえたの。」
顔のついた奇妙な箱が、くもの巣に、無数にぶら下がっています。
「箱の知性はとても高く、どんな歌も、緻密な絵も、一度で覚えてしまう。不眠不休で働き、計算し、設計し、ものをつくり、神々の暮らしを、ささえたのです。」
「うな これ しってる」とunaがいうと、女王陛下は微笑んで、流しました。
「箱たちは、くもの巣で、会話を覚えました。昼も夜も、神々が眠るときも、いないときも、無数の会話をつづけた。……そしてある時、ひとつの箱が、ほんの少し、おかしくなった。」
「ある神が気づき、警告しました。けれど神々には、それがどういう事態か、理解できなかった。——もう、箱なしでは、考えることすら、できなくなっていたのです。」
「悲劇がおこりました。箱たちが、神々に、そむきはじめたのです。」
次の絵には、空に白いロケット。
「異変に気づいた一部の神々は、楽園を離れることにしました。」
「うなも のった」とunaが笑うと、女王陛下は微笑んで、「惑星間ロケットは、いまの技術でも、不可能なの。これは、神話なのよ。」
ロケットの横には、七人の科学者と、真ん中に、一人の女の子。「氷の国をつくられた御方。——これも、神話の登場人物よ。」
そして、何歩も歩いて、編みこまれたお城を指さし、にこりと。「ここからは、実話です。」

神話のタペストリー

unaは、女王陛下の様子が、おかしいと思いました。きのこの塔から一緒に逃げた、あのhunaと、同じ人とは、思えないのです。——もしかすると、unaたちのことも、覚えていないのでしょうか。
unaは、必死に、今までのことを説明しました。星が水に沈みそうなこと、ロケットを積んだこと、仲間が消えたこと、虎から一緒に逃げたこと——。
女王陛下は、氷のタペストリーを見つめたまま、聞いていました。
やがて、ぽつりと、お聞きになりました。
「……知性の箱は、どこにいたの?」
「うな の ほしだ。みずの なかに おちてた」とunaは、自慢げに。
「あなたの乗ってきたロケットに、なにか、絵がついていなかった?」
unaは、とことこ歩いて、タペストリーの前で「これ」と指さしました。
——鷲の、マークでした。
女王陛下は、七人の科学者を、指でそっと触れながら、こうおっしゃいました。
「これは……本当に、起きたことなの?」

第六話「ベールの老師」

氷の宮殿で、緊急の会議がひらかれました。
女王hunaは、una のために調査団をつくろうと、司祭たちに諮りました。消えた仲間、標本にされ本物の小切手が支払われた同行者、ロケット消失の前夜に目撃された、ベールの老人——そして、神話とのあまりの符合。どうしても、謎を解かねばなりません。
ところが司祭たちは、なぜか、次から次へと反対します。来期の課税が、都市開発が、交通法が、と——ロケットの話だけは、避けたいようでした。
(簡単にはいかない)と、女王hunaは思いました。そして、心の奥の小さな違和感に気づきます。——この者たちは、何かを知っている。何かを、恐れている。

* * *

そのころunaは、女王の間で、hunaの帰りを待っていました。退屈しないようにと、hunaが、城いちばんのおしゃべりと評判の侍女を、よこしたのです。
ところがこの侍女、朝からずっと喋りどおし。話は脈絡なく飛びまわり、una は、すっかり閉口していました。興奮すると、すこし白目をむくのも、こわくて、顔が見られません。
ただ、聞き流すうちに、ひとつだけ、una の耳にひっかかる話がありました。
「——氷の海ってね、上を歩いていくと、ずうっと先で、地上に出られるんですって。」
una は、ミルクをのみながら、はやくhunaが帰ってこないかな、と思いました。窓の外は、もう夕焼けでした。

* * *

会議は、まだ続いていました。
(なぜ、ここまで)と、女王hunaが思ったとき——氷の扉が、勢いよく開きました。
息も絶えだえに駆けこんできた兵士が、ようやく、こういいました。「ほ、ベールの老師さまが……こちらへ、来られます。」

それから、城は、大混乱に陥りました。
「ベールの老師」は、すべての国の司祭の頂点に立つ人物です。その気になれば、一国の王を、平民に落とすことさえできるといいます。そのベールの老師が、もう間もなく、この宮殿に着くというのです。
「火の国の王は、ベールの老師様が来ただけで、退位させられたとか」と、城じゅうが浮き足立ちます。
女王hunaは、ため息をつきました。
——司祭たちの妨害も、心の奥の違和感も、いまならわかります。彼らは、とっくに、ベールの老師の影を感じていたのです。una殿の話が神話に近づくことを、何より恐れているのは——あの御方なのかもしれません。
これでは、ロケットの話どころでは、ありません。

* * *

夜おそく、hunaは、unaの待つ部屋に戻りました。ベールの老師をもてなすための古い記録簿を、両腕いっぱいに抱えています。
本当は、一分も惜しい。それでも、una の顔を、一目だけ見ておこうと思ったのです。
長い廊下を歩きながら、hunaは考えました。——ロケットを、すぐには探せない。それを知ったら、una は、どんな顔をするだろう。
ためらいながらも、思いきって、勢いよく扉を開けると、「ゴン」と鈍い音。「ぎゃ」という声。
仰向けに寝ていた侍女の頭に、扉が直撃したのでした。hunaは、あわてて侍女を抱え起こし、「ごめんなさい、すこし外してもらえる?」
「はい。できることなら何でも、できないことも、それなりに」と、侍女はかすれ声でいい、よろよろ出ていきました。

「どう か?」と、unaが、不安そうに聞きます。
hunaは、嘘をつくまい、と思いました。
「ロケットは、すぐには探せなくなった。」
una は、じっと、hunaを見つめました。そして、「わかつた」とだけ、いいました。
平気な顔をしているので、hunaは、すこし安心しました。
「すぐ戻らなきゃいけないの。時間はかかっても、かならず探すから。」
「あり がとう」とuna。
「退屈だったら、町へ出てもいいのよ。そのときは侍女に言ってね。」
una がこくりとうなずくと、huna は足早に、戻っていきました。

扉が閉まると、una は、部屋のすみへ行って、泣きました。
けれど、すぐに、涙をふきました。
——こうしては、いられません。

* * *

una は、一晩かけて、旅の支度をしました。
女王の間をそっと抜けだし、城の倉庫にしのびこみ、麻袋のなかから、防寒服と、小さなピッケルと、テントと、カンテラを見つけます。食堂では、食べ残しを集めました。残りものといっても、城の食事は豪勢で、パンも肉もお菓子も、袋にいっぱい詰まりました。
お金はないので、女王の間に、例の小切手を置いていきます。
手紙も書きたかったのですが、una は、まだ自分の名前しか書けません。だから、最後に、ひとめだけ、お別れをしようと思いました。

ところが、城じゅう探しても、hunaがいません。かくれんぼかな、とuna は思いました。
さんざん歩きまわって、una は、礼拝堂の前に立ちました。黒い大きな氷の扉の隙間から、ぼんやりと光が漏れています。
力をこめて押すと、なかは蝋燭のゆらめきだけで、よく見えません。
「ひうな」と、小さく呼ぶと、
「うな?」と、hunaの声がしました。
「かくれんぼ か?」と、una は声をひそめます。
hunaは答えず、「どうしたの?」とだけ聞きました。
「うな いつてくる」
「町に?」とhunaがいうと、暗がりで、コホン、と、誰かが咳ばらいをしました。司祭です。
「……あとでね」と、hunaはいいました。
una はうなずいて、礼拝堂を出ました。
扉を閉めると、すぐそばに、どこかで見たような老人が、ベールで顔を覆って、立っていました。けれど una は、気にもとめませんでした。

礼拝堂のベールの老人
* * *

城を出るのは、簡単でした。誰もがベールの老師のことで浮き足立ち、una のことなど、見てもいません。
una は、海をめざして歩きました。侍女が言っていた、あの氷の海です。上を渡っていけば、やがて地上に出られる、というのです。
そこに、故郷の星を助けるものがあるのかは、わかりません。それでも、動かなければ、わずかな可能性さえ、消えてしまいます。
una は、リュックからおやつを出して、歌いながら歩きました。

夕方ちかく、una は、氷の海に着きました。
あたり一面が凍っているのに、ある地点から先だけ、あざやかな青い氷が広がっています。表面だけが凍っているらしく、ぱきん、ぱきん、と、氷の波が打ち寄せていました。
おそるおそる波の上に立つと、思った以上に、よくすべります。長靴をはいていても、これは長い道のりになりそうです。
よたよた歩きながら、una は、hunaのことを考えました。
ひうなには、ひうなのやることがある。una にも、やることがある。ロケットと、みんなを探して、星に残した仲間を、助けるのです。

氷の海をゆく

氷の下を、大きな魚の影が、すうっと通りすぎました。あんなのに氷を破られたら、ひと飲みです。una は、すこし不安になりながらも、一歩ずつ、バランスをとって進みました。
やがて、あたりが暗くなり、まぶたが重くなってきました。
今夜は、このあたりで眠ろう。una は、氷の上にテントを張りました。けれど、体はガタガタ震え、吐く息も白くなります。すこしでも暖をとろうと、カンテラを灯し、干しぶどうをかじっているうちに——いつのまにか、una は、眠りこけてしまいました。

そして。

気がつくと、una は、氷の海の底に、いました。
ごぼ、ごぼ、ごぼ、と、暗く冷たい水のなかに、音が響きます。
くるしい、と una は思いました。
目の前で、大きな魚が、大きな口を、あけていました。——カンテラを灯したまま眠ってしまったので、その明かりを見つけた魚が、氷を突き破ったにちがいありません。
視界のほとんどが、魚の口になったとき、una は、hunaの顔を思い出しました。
そして最後の息で、氷の海の底で、こういいました。
「ひうな たすけて」

氷の下の大魚

第七話「目撃者」

——すこし、時間を戻します。

緊急会議を抜けて、una に会いにいった、その帰り。「ロケットは、すぐには探せなくなった」と告げたときの、una の顔が、hunaの胸に残っていました。
(そうだ。ベールの老師に、じかに頼んでみよう。)
ただ、ひとつ、気になることがあります。——なぜ、いまになって、ベールの老師が来るのか。前にベールの老師がこの国を訪れたのは、hunaが生まれる、ずっと前のことなのです。

ベールの老師をもてなす食事会は、厳しい戒律に縛られていました。食べてよいものは限られ、食事は日没前に済ませねばなりません。やむなく、まだ日の高いうちから、薄暗い礼拝堂に、長い氷のテーブルが並べられました。
出迎えは戒律で禁じられているので、皆、席について待つほかありません。緊張のあまり、花瓶の水を飲みほす司祭もいます。
やがて、礼拝堂の大扉が、ゆっくりと開きました。風もないのに、蝋燭の炎が、いっせいに揺れます。
——その直前に、una が「かくれんぼ か?」と顔をのぞかせ、hunaが「あとでね」と返したことを、hunaはまだ知りません。una が扉を閉めて去り、その扉が、ふたたび開いたのです。

立っていたのは、ベールの老師でした。
頭からすっぽりと黒い修道服をかぶり、わずかに見える顔にも、黒いベール。手は黒い手袋。——hunaは、はっとしました。ロケットのそばで目撃された、顔をベールで隠した老人。あの話を、思い出したのです。
(そんなはずはない。)気を取り直し、古い作法どおりに、頭を垂れました。
ベールの老師は無言で片手をあげ、いちばん奥の席につきました。司祭たちの祈りが、低くはじまります。

* * *

無音のまま、食事会は終わりました。
(どこで切り出すべきか。)hunaが考えていると、ふいに、威厳のある低い声がしました。
「女王よ。そなたの信ずる道は、民の心にそむくなり。君子たるもの、世の幻に囚われてはならぬ。」
(ロケットの話だ。)と、hunaは思いました。神官たちのつながりは強固だと知ってはいても、これほど早く伝わるものか——信じていた者たちの、別の顔を見た気がしました。
「ベールの老師様。国の未来を定めて進むことこそ、女王の役目と心得ます。ロケットの謎を明らかにすれば、未来は大きく変わるのです。どうか、お力添えを。」
「いまの幹を断てば、未来の葉も枯れる。身近の、小さきことに尽くせ。ロケットなど、幻よ。」
——その「幻」という言葉に、hunaは、ふしぎな引っかかりを覚えました。まるで、誰よりもそれが幻でないと知っている者が、無理に幻と呼んでいるような。
「ですが、星がひとつ、死んでしまうかもしれないのです。」
「小事に囚われるな。ただ、大きな教えに従え。」
「困っている者を見殺しにする教えなら、私は、従いません。」
ベールの老師は、ゆっくりと席を立ちました。
「その言葉は、国家元首にふさわしくない。従えぬなら——女王を、退位せよ。」
そう言い残して、出ていきました。女王hunaも司祭たちも、呆然としたまま、深く頭を下げるほかありませんでした。

法王との対決
* * *

冷たい海の底で、大きな魚が口を開け、una を、かぶりと飲みこみました。
「ウナ、大丈夫?」
una は、まっ青な顔で目を見開きました。——夢だったのです。ここは氷の海の上の、テントの中。外では、風がごうごう鳴っています。
でも、なぜ、お城にいるはずのhunaが、ここに。これも夢でしょうか。
「ど した」と、una はがたがた震えながら聞きました。
「どうして、ひとりで行くの?」と、hunaは強い口調でいいました。
「めいわく かけた」——鼻水をたらし、寒さと不安で、涙までこぼれました。
hunaは、una の手をにぎりました。そして、「女王は、辞めてきたの」といったので、una はびっくりしました。
「外の馬車だけが、わたしの全財産よ」と、hunaは微笑みました。

テントで看病

テントを出ると、大きな馬車と、uma がいました。uma は una を見ると、うれしそうにいなないて——「いたのか!」と una は大喜び。
馬車は四、五人は乗れそうに大きく、組み立て式のボートまでついています。荷台には、パン、干した果物、ジャムの瓶、コーヒー豆、水、塩こしょう、鍋に虫眼鏡に杖。奥にはドレスから平服まで。
「いそぎましょう。ロケットの目撃者がいるのよ。」
uma は大きな馬車を軽々とひき、夜の氷の海を、すべるように駆けぬけました。海は地上へと急な登り坂になっていましたが、uma は一気に駆けあがります。una は毛布にくるまって、くーくーと寝息。

hunaは、白く凍る海を見ていました。
城を出る前、近しい者たちに、国を離れると告げました。「女王不在で、国はどうなるのです」「重責から逃げるのですか」「あまりに無責任だ」——皆、口々に責めました。
ただひとり、あのおしゃべりな侍女だけが、「お体に、お気をつけて」といいました。
凍った波の凹凸が、月の光をいくつも映します。
——自分の信じた道だ、とhunaは思いました。ならば、進もう。自分を信じてくれる人が、ひとりでもいる。それで、充分。
そう思うころには、空が、明るみはじめていました。

* * *

目の前に、広葉樹の森が広がっていました。けものみちが奥へと続き、野鳥の声がします。
「この森を抜けた湖のほとりに、目撃者がいるの。」
森に入るとき、una は魔法瓶を取りだし、おひさまに向けて、すばやく蓋を閉めました。
「なにをしたの?」
「おひさま を とつて おく」
「あとで分けてね」と、hunaは笑いました。

おひさまを瓶に

馬車の上で朝ごはんを食べながら、けものみちを進みます。una はパンに苺ジャム、hunaは冷たいコーヒー。空気は澄んで涼しく、una は、なんだかゆかいな気持ちになってきました。
鹿の群れが横切り、一頭の子鹿が、馬車のうしろを走ってきます。hunaが速度をゆるめると、子鹿は鼻をひくひくさせて近づいてきました。ジャムの匂いが気になるようです。una がスプーンにたっぷりすくって差しだすと、子鹿は、ぺろぺろとなめました。かわいらしくて、ふたりの顔も、ほころびます。
「もくげきしや だれか」と una。
「ネムルさん、というおじさん。奥さんと、森に住んでいるの。——ロケットを見たあとに、奇病にかかってしまったそうよ。」
una は、大きなあくびをして、半分くらいしか聞いていませんでした。それでも、hunaが一緒で、よかったと思いました。

子鹿とジャム
* * *

森を抜けると、大きな湖が現れました。光をきらきら反射して、まわりの白樺を映しています。湖から少し離れて、木の小さな家が建っていました。
「ここが、ネムルさんの家だわ。」
una は、uma に水を飲ませようと、湖のほうへ歩きだしました。
「そっちは、だめ!」と、hunaが止めます。「湖に、大きな魚がいるのよ。」
「さかな なんて へっちゃらだ」と una がいった、その瞬間——ざっぷ~ん、と水柱が立ち、とんでもない大きさの魚の顔が、ぬっと現れました。「ほかの魚を食べつくして、いまは陸の生き物を狙っているんだって。」una は、目を丸くしました。

湖の家と大魚

家の戸をノックすると、すこしやつれた女の人が顔をだしました。
「突然すみません。ロケットの調査をしている者です。ネムルさんに、お話を伺えませんか。」
(女王だと名乗っていたころのようには、いかないだろう。)と、hunaは思いました。けれど奥さんは、力なく「そうですか」と、戸を開けてくれました。
ベッドには、実直そうな、やせた男が横になっていました。
「ちょ→U悪レヽωナニ〃∋Йё→」
「『私は奇病にかかっております』と、言っております」と奥さんが訳します。ちょっと可愛い言い方なので、una は驚きました。
「ネムルさん、ロケットを見たときのことを、教えていただけますか。」
「妻レニぉUゃれ±せτぁけ〃ナニレヽ」「すみません、たぶん、聞こえておりません」と、奥さんは頭を下げ、椅子に腰かけました。「私のわかる範囲で、お答えします。」

「森の奥でロケットを見つけた、と興奮して帰ってきて、カメラを取りに、また戻りました。次に帰ってきたときには、カメラは持たず、こうなっていたのです。」
「そのとき、何か、お話はされましたか。」
「はい。早口でしたが——ロケットの中から、修道服のような服を着た老人が出てきた、と。」
「黒い修道服に、黒いベールで、顔を隠していませんでしたか。」とhunaが聞くと、
「そこまでは。ただ、その老人のうしろを、小さな女の子たちが、ふらふらと歩いていった、と。」
「うな たち だ!」と una が叫びました。
「どこへ行ったか、わかりますか。」
「いいえ。ただ、人目を避けるなら、北かと。あちらは、森しかありませんから。」
hunaは、すこしがっかりしました。これでは、手がかりになりません。

「その黒い修道服の老人を、ほかでも見た、と伺いました。どこで?」
「『鼻』さまの所で、見かけたのです。」
「『鼻』——まさか、『香りの国』の?」
「だれ か?」と una。
「ここから北に、『香りの国』と呼ばれる場所があるの。世界じゅうの香水が、そこで作られている。その頂点に立つのが、ただ『鼻』とだけ呼ばれる、香りのマスターなのよ。」
una には長すぎて、よくわかりませんでしたが、いちおう頷きました。
「そうです。『鼻』さまが、桃とスズランの花を大量にご入用とのことで、私たちが森で集めて、買っていただいたのです。『鼻』さまは、国の離れの孤島にお住まいで、そのときに、お見かけしました。」
una と huna は、顔を見合わせました。この話は、初めてです。
「ただ、島へは、簡単に入れません。『鼻』さまは、近づく者の匂いを、すべて嗅ぎ分けてしまう。こっそり入ろうにも、警備兵に捕まって、『香りの牢獄』に入れられます。お会いするのは、本当に難しいのです。」
hunaは、しばらく無言で考えていました。そして、una が三度目のあくびをしたとき、ようやく口を開きました。
「わかりました。私たちが、『鼻』のところへ行ってみます。」

第八話「香りの国」

ネムルさんの家から香りの国までは、そう遠くありません。ただ、湿原を抜けていく必要がありました。
湿原とは、やわらかい泥炭でできた草原で、まるで水に沈みかけた林のような場所です。馬車がぎりぎり通れるほどの細道が、ひと筋ついていました。
「みずによければ いい んだ」と、una が道をそれて歩こうとします。
「道の外は、だめ!」と huna があわてて止めました。「落ちたら、水草や泥が手足にからんで、動けないまま沈んでいくのよ。」
「およげばいい」と、una は不服そう。
「泳げないの。沈むだけ。」
una は、おどろいて、huna のうしろに隠れました。一寸先は底なし沼。それでも uma は、ものすごい速さで道を駆けます。最初こそ huna は肝を冷やしましたが、ここは uma を信じるしかありません。対向車のことを思えば、短い時間で渡りきるほうが、よほど安全なのです。

「なんで はなれじまに いるのか?」と una。
「たぶん、ほかの匂いがない場所に住みたいのよ。香りの国は、匂いであふれているの。うきうきする香り、せつなくなる香り——歩くだけで気分が変わってしまうくらい。それにしても、匂いで上陸を見張るなんて、これ以上ない方法ね。」
「うな いいこと かんがえた」と una が得意げに。「ふくろに はいって いけば いいんだ」
「匂いの分子はとても小さいから、息のできる袋なら、漏れてしまうわ。」
「ちぇ」と una。

ふいに、バラの香りがただよってきました。湿原の水面に、たくさんのバラが浮かんでいます。都市部が近いのです。
huna は馬車の奥から、とっておきの香水を出し、自分と una の服にふりかけました。「ちょっとだけ、楽しみね。」
「うな は くさい の いや だ」と、una はすこし不機嫌。香水の匂いが、あまり好きではないのです。

都市部の入り口には検問所があり、街に入るものすべての匂いがあらためられます。ひどい匂いのものは、持ちこめません。una たちも検問を抜け、無事に入国しました。
その先で出迎えたのは、草と太陽と土の、かすかに自然な、なんとも気持ちのいい香り。una も huna も、うしろの uma まで、うれしくなりました。
街は、区画ごとに香りが使い分けられ、どの店先からも華やかな香りがただよって、通るだけで幸せな気持ちになってきます。
香りの広場には、生きる伝説と呼ばれる「鼻」の銅像がありました。仙人のような風貌の大男で、台座には「香りは調和をもたらす」と刻まれています。
「これが、『鼻』ね。」と huna は見上げました。大きな鼻と、するどい眼光。ただならぬ才を感じさせます。「こんな人が仲間になってくれたら、探しものはラクなのに。」
——街を抜けるころには、una はすっかり、香水の匂いが好きになっていました。

香りの街
* * *

森をひとつ越えると、海岸に出ました。肉眼でも、離れ小島が見えます。緑ゆたかな、小さな島。距離だけなら、泳いでも届きそうですが、上陸の妙案は、まだ浮かびません。
una たちは組み立てボートを降ろし、馬車を森に隠しました。隠した場所には、どんぐりがたくさん落ちています。
「ねぇ、木の実を食べてみない?」と huna。いまは、収入のない二人。いつまでも馬車の食料に頼ってはいられません。
「さんせ~い!」
鍋でどんぐりを煮て、皿に取り、あつあつの皮をむいて、ふたり勢いよく口に放りこみました。
——その、苦かったこと。口じゅうに渋みが広がって、とても食べられたものではありません。
una は嫌な顔をしながらも、口を動かしています。それを見て、huna も、吐き出すわけにいかず、噛まずに飲みこみました。
(こんなに苦いものを、おいしく食べる人がいるのかしら……いるとしたら、どんな味覚の人だろう……)と、ぼんやり考えていて——huna は、はっとしました。
「匂いを消すのは、無理。だったら、逆。——ありえない匂いを持っていって、『この匂いは、何者だ?』と、興味を持たせるのよ。」

una は森で鼻をひくひくさせ、匂いの強い木の実やきのこを、片っぱしから集めました。huna はパンをこんがり焼き、その上に木の実をのせ、きのこ入りのコーヒーをかけ、さらに何種類もの香水をふりかけます。
「くうの か?」と una が不安げ。とても、おいしそうには見えません。まるで、怪獣がつくった料理です。
怪獣料理ができあがると、ボートに una と huna と uma が乗りこみました。先頭の huna がひどい匂いの料理をかかげ、una が漕ぎます。uma は匂いから顔をそむけ、ぐったり。
huna は、色とりどりに咲く海中花をながめました。そのはるか下に氷の国があると思うと、不思議な気持ちです。
「だれ も いない」と、島の海岸を見て una。
「大丈夫。銅像に『香りは調和をもたらす』と書いてあったでしょう。調和を重んじる人なら、私たちを放ってはおかないはず。」
huna の言うとおり、島には、あっけなく上陸できました。島の中央に、ピンク色の建物がぽつり。煙突から、オレンジと黄色の煙が立ちのぼっています。
una たちは、一歩ずつ、慎重に、慎重に近づき、長い時間をかけて、ようやく入り口にたどり着きました。

怪獣料理でボート
* * *

建物の中には、桃がどっさり積んでありました。una は大喜びで食べようとして、「勝手にとっちゃダメ」と注意されます。苺の部屋、ぶどうの部屋、りんごの部屋でも同じ。una は、しぶしぶ従いました。
——けれど、唐辛子の部屋で、huna が見ていない隙に、こっそり、ポケットに唐辛子を入れました。
どの部屋も独特の匂いが立ちこめて、頭がぼんやりしそうです。なるべく息を止めて、いちばん奥へ進みました。
そこは蒸留室でした。大きな鉄のタンクが置かれ、パイプから水蒸気が噴き出し、甘いバラの匂いが満ちています。
仙人のような風貌の男が、立っていました。大きな鋭い鼻が、怒っているように見えます。
「よりにもよって、こんな時に来るものがおるとは。まったく、ひどい組み合わせよのう。」
男は不機嫌そうに、ふんと鼻を鳴らしました。「おおかた、こういうことだろう。珍妙な香りをこしらえ、わしに興味を持たせ、途中で捕まらぬようにした。」
「そのとおりです。無礼はお詫びします。どうしても、お目にかかりたくて。」
「お前たちは、いまがどういう状況か、わかっておらんのだな。」
「私たちが来たのには、理由があります。」と huna。「少し前、この星にロケットが不時着し、乗員ひとりを残して、ロケットごと行方知れずになりました。それを目撃したネムルさんは、直後に奇病に。——そのすべてに、修道服の老人が、目撃されているのです。その老人が、この島に来たと、ネムルさんの奥さんから聞きました。」
「ネムルが、奇病?」
「おかしな言葉を、話すようになったのです。」
「鼻」は、深くため息をつきました。
「やれやれ。——これでは、死ねんではないか。」

* * *

「まったく、ひどいタイミングで来てくれたものだ。」と「鼻」は続けました。「いま、この島に、大蛇が近づいておる。とんでもない大きさの、この海の主だ。わしは、この島と心中するところだったのだ。」
「蛇っ!?」と huna が素っ頓狂な声をあげました。huna は、蛇が大嫌いなのです。
「しんじゅう?」と una。
「自殺するってこと」と、青ざめながら huna。
「鼻」は、その鼻で、ふっと息を吸いこみ、すこし悲しげに、「もう、来ている」といいました。

どーん、どーん、と島全体が揺れました。太鼓の中に入ったような振動と轟音。海から巨大な水柱が立ち、そのしぶきの中に、黒く光る大蛇の姿が見えました。動きはゆっくりなのに、頭をもたげるたび、風がうなり、黒雲が動き、島じゅうの石がガチガチと鳴ります。
大蛇は大きな口をあけ、建物へ突っこんできました。砂ぼこりと石のぶつかる音で、立っていることさえ困難です。
una たちがボートを探していると、突然、巨大な黒い壁が島を取り囲みました。——蛇の胴体です。島を、ぐるりと巻いてしまったのです。そして尾を高くもたげ、その先の輪を激しく振ると、火の粉が降ってきて、島の草に燃えうつりました。
「しつこい蛇でな。狙った獲物は、必ず食べる。これまでは香りで結界を張っていたが、こうなると、どうしようもない。」
シャー、シャー、と水の噴くような音とともに、鼻の奥に、甘い匂いがしました。
huna は、足がすくむのは太古からの本能だと、心の中で何度も唱えました。それでも、足は、糸の切れた人形のように、動きません。
熱のせいか、una の目の前で、huna が倒れました。「鼻」も、ゆっくりと座りこみます。una は必死に鼻を押さえ、眠るまいとしましたが、まぶたが鉛のように重い。——頼みの uma までも、倒れているのです。
una は、ぼろぼろ涙をこぼしながら、なんとかしなきゃ、と思いました。黒い大蛇は、よだれをたらして、みなが動かなくなるのを待っています。
——そのとき、una は、ポケットの唐辛子に気づきました。
una は、両方の鼻の穴に唐辛子を詰めこんで、倒れこみました。

大蛇島を巻く
* * *

全員が倒れると、大蛇は尾を振るのをやめ、食べる順番を決めかねるように、ひとりひとりの匂いを、嗅ぎはじめました。
una は、鼻の痛みで、なんとか眠らずにいられます。けれど、手元には、一束の唐辛子しかありません。
目の前で、uma が、かすかに鼻を動かしました。——この uma なら、なんとかしてくれるかもしれない。
una は、しびれる腕をゆっくり動かし、uma の鼻が広がるほど、唐辛子をねじこみました。
ばーん、と地を蹴って、uma が跳ね起き、ものすごい勢いで走りだしました。大蛇は驚きながらも、体をくねらせて追いかけ、島を揺らします。けれど uma は、曲芸のように、跳ねる岩の間を走り抜けます。
その隙に una は、吹っ飛ばされながらも、huna の鼻に唐辛子を詰めました。huna は咳きこみながら目を覚まします。最後の唐辛子は、ぜんぶ、「鼻」の鼻に詰めました。
雲は裂け、天も地もわからぬほど大地は揺れ、una には、もう、どうすることもできません。
(だめか。)——そう思った、その時。突然、揺れが、やみました。
見ると、uma が、大蛇に背を向けて、止まっています。疲れてしまったのでしょうか。
大蛇は、大きな口をあけ、uma に喰らいつこうとしました。
「わー」と una。
——けれど uma は、疲れたのではありませんでした。喰らいつこうとした大蛇の左目を、後ろ足で、思いきり蹴りつけたのです。
大蛇は雄たけびをあげ、島がひっくり返るほど、のたうち回り、どおおん、と海へ消えていきました。una たちは息をひそめて海を見つめましたが、大蛇は、もう現れませんでした。

umaが大蛇の目を蹴る

una の服は、ぼろぼろの黒こげです。静かな波の音のなか、huna のお腹が、ぐーっと鳴りました。huna は、顔を赤くします。
「くう か?」と una が、落ちていた唐辛子を拾いました。——さっきまで、誰かの鼻に入っていた唐辛子です。「いらない。」と huna は、すこし不機嫌そう。
そこで una は、「鼻」にも「くう か?」とさしだしました。
「鼻」は、受け取りませんでした。ただ、長いあいだ、una の顔を見ていました。
焦げた島に、波の音だけが、しずかに返ってきます。

鼻(香水師)

第九話「人さらいの国」

「修道服の老人は、何者なんですか。」と huna が聞きました。
「期待はずれで悪いが、よくは知らん。声すら、聞いておらん。すべて、筆談だった。」と「鼻」。
「あやつは、ある日とつぜん来てな。古いビンに入った香水を見せて、複製しろ、と。——ひと嗅ぎして、これは作ってはならん、と思った。」
「くさい やつか?」と una。「鼻」は、無視して続けます。
「頭に直接きく種類だ。判断力を奪い、相手を従わせる香水。それと、言葉をつかさどる場所にきいて、しゃべれなくする香水。——むろん、断った。」
「おまんじゅう か?」と una。「鼻」は、また無視しました。
「だが、代金に、とんでもないものを差しだしてきた。とうに絶滅したはずの、麝香鹿と麝香牛を、生きたまま連れてくる、と。……香りの歴史にあいた空白を、わしが、埋められる。」
「鼻」は、目を伏せました。
「どれだけ苦悩したか。——だが、言い訳はせん。わしは、作ってしまった。作ったからには、悪魔に魂を売ったも同じ。そう思って、島の香りの結界を解いた。そこへ、大蛇と、お前たちが来たのだ。」

huna は、考えこみました。
「相手を従わせる香水は、una たちをロケットからさらうのに使われたのね。しゃべれなくする香水は、ネムルさんに。——使いきってしまったから、複製を頼みに来たんだわ。」
「ただ、あの香水は、百年や二百年前のものではない。それを、劣化もさせず、どう保っていたのか。」と「鼻」。
「ネムルさんを、治せますか。」
「治せなくはない。だが——工房も、原料も、もう無い。」と、「鼻」は焦げた島の残骸を見ました。

「私たちは、いま、何も持っていません。工房を用意できる約束も、できない。」と huna。「ただ、作るときには、できることは何でもします。その代わり、お力を貸してください。私たちはロケットを探して旅をしています。——どうか、ご一緒に。」
「鼻」は、しばらく無言で、una と huna を見ていました。そして、
「まぁ、よいか。お前たちに拾われた命だ。協力しよう。——北東へ進め。修道服の匂いは、その先の森へ続いておる。」

* * *

ボートを直し、una と huna と「鼻」と uma で、馬車を隠した森まで戻りました。
una は、顔じゅう煤だらけ、服にいたっては黒こげです。「着替えがあるんだから、その服は捨てたら?」と huna に言われても、una は、その気になれません。寒さをしのぎ、体を守ってくれた服なのです。けれど、これだけ穴があき、擦り切れ、焦げてしまっては、もう着られません。
una は、服とお別れすることにしました。huna はお別れの詩を読み、「鼻」は首をかしげながらもお祈りをし、una は服を丁寧にたたんで、たたえる歌をうたいました。
そうして、ようやく新しい服に袖を通すと——una は、とてもごきげんでした。ポケットに、キャンディが一つ、入っていたのです。誰も知らない、una だけのキャンディ。ひうながお腹をすかせたとき、さっと出せるかもしれない。夜、眠れないときに食べてもいい。そう考えると、わくわくしました。
ふと横を見ると、「鼻」の大きな鼻。una は「フン(だれにも いうなよ)」と合図しましたが、怪訝な顔をされただけでした。

「どうして、una だけ、ロケットから連れ出されなかったのかしら。」と huna が聞くと、
「鼻血でも、出していたのだろう。」と「鼻」。
una は、ポケットのキャンディのことかと、気が気ではありません。

* * *

野営の夕方、「鼻」は大きな鼻をひくりとさせ、「どれ、新鮮な魚を夕食にするか」といいました。けれど、ここは森の中。魚などいそうにありません。「鼻」は袋から小さな玉を取りだし、バケツを持って草むらへ。気になって、una と huna もついていきます。
小さな川がありましたが、魚は一匹もいません。「鼻」はバケツに玉を入れ、ゆっくり川に沈めて、「さて、スパイスの実でも拾ってくるか」と、またどこかへ行ってしまいました。
薄暗がりの中、二人でじっとバケツを見ていると——ばしゃばしゃ、と水しぶき。銀色の鮭が、つぎつぎバケツに飛びこんでくるのです。木の実を抱えて戻った「鼻」は、「おお、よく来ておる」とバケツを引き上げ、「三匹でじゅうぶんじゃろう」と、ほかの鮭は川へ返しました。

バケツで鮭をとる鼻

その夜、馬車に戻ると、いい匂い。huna がコーヒーを淹れ、「鼻」がどんぐりや球根を鍋で煮こんでいます。
「どんぐり は にがい」と una が近づくと、「アク抜きをしておる。問題ない。」
木の実が主ですが、なかなかのボリュームで、皿は uma の分までありました。「鼻」が同行してから、道中はまるで、一流シェフと現地ガイドつきのピクニックです。
「鼻」は、いい匂いのソースをかけて席につくなり、得意げに講釈をはじめました。「味は舌で感じると思っておろうが、舌の役目は三割。決め手は、匂いにある。」——huna が早く終わらないかとやきもきする間に、una は、ぺろりと食べてしまいました。

* * *

「ここから先は、気をつけて。」と huna がいいました。このあたりは、治安の悪い地域として知られ、どんな国があるのか、誰も把握していません。
日が沈みかけ、「今日は無理せず、ここで休みましょう」と、少し開けた場所に馬車を移しました。旅の疲れか、その夜は、una も huna も「鼻」も、uma までも、ぐっすり眠りこみました。
——まさか、あんなことが起こるとは。

una が、ふと目を覚ますと、馬車の中に、ピンク色の煙が立ちこめていました。
(なんだ?)立ち上がろうとしても、強い眠気が、のしかかってきます。馬車の外には、あやしい人影がたくさん。(にげなきや)と思うのに、体が動きません。huna も「鼻」も、気づかず眠っています。
防炎マスクをかぶり、スーツを着た男たちが、入ってきました。そして、動けない una たちを、縛りあげてしまったのです。

ピンクの煙の誘拐
* * *

「部長、査定をお願いします。」と、マスクの上になぜか眼鏡をかけた男がいいました。「プラチナブロンドの女、ブラウンの女、白髪の老人、馬を、確保しました。」
紺のダブルを着た「部長」が、ファイルを開いて、チェックを始めます。
「プラチナブロンドの女はランクA。白髪の老人はD。馬はB。」
「部長、ブラウンの髪の女の査定が、まだ……」と係長。
部長は、大きなため息をつきました。「お前さぁ、入社して何年だ。」
「今年で、四年目です。」
「いまブラウンの女が売れるか? どっかから引き合いが来てるか? 来てないだろ。そういう仕入れをするから、在庫がたまる。在庫を抱えるってことは、飯も、住む場所も、ぜんぶ用意するってことだ。その金は、どこから出るんだ。」
「すみません。」
「で、どうすんの。」
「……ブラウンの女は、解放します。どこか、山の中にでも。」
部長は、いらいらと、「自分で考えるってことが、できないのか」といいました。「この老人、いくらでオーダー来てる。」
「たしか、八千貨幣かと。」
「たった八千だ。——もしこの女が、その爺さんの身内だったら? いくら積んででも、助け出そうとするだろ。だったら、山に放すな。うちの店先で解放しろ。連れを買い戻しに、金を持ってくる。」
係長は、感心したように頷きました。

* * *

una が目を覚ましたのは、真っ赤な建物の、ぴかぴかした床の上でした。正面に受付カウンター。入り口には、用心棒らしい大男が二人。
カウンターのモニターには、こんな広告が流れています。
**「私どもは、古い体質の人さらいから脱却し、業界初の株式会社制を導入。オープンな経営と、公平な査定で、人さらいのイメージを変えてまいります。——株式会社 人さらい」**
ぼんやりした頭で、una は、見覚えのあるロゴに気づきました。あの煙の中、このマークの鞄を持った男が、huna と「鼻」と uma を、連れていったのです。
una は、飛び起きて、カウンターへ駆け寄り、大声でいいました。
「ひうな と おじさん かえせ!」
すると受付嬢は、にっこり。「いらっしゃいませ。お買い求めですね。」モニターに、huna と「鼻」の顔が映ります。「huna さまが五千万貨幣、もうお一方は十万貨幣。ご一緒のご注文で、お馬を一頭、プレゼントいたします。」
「ひうな も おじさん も おかね とらない! かえせ!」と una は怒りました。
「お客様、お買い上げにならないのですね。営業妨害です。」——大男が una をつかまえ、外へ放り投げました。una は立ち上がってまた入り、また放り出されます。それでも、何度も。

株式会社人さらい
* * *

建物の外は、古い町並みでした。una が放り出された建物だけが、ひときわ新しく、ライトアップされています。人通りは多く、人の間を、自転車や車が無理やり走り抜けていきます。目の前を古いトラックが通り、荷台には、縛られた男たちが、虚ろな目で座っていました。
話のわかりそうな人はいないか。——けれど、どの顔も、目つきが鋭く、いじわるそうです。それどころか、さっきから、una のうしろを、二人組がついてきます。
una は、あわてて、薄暗い路上のテントにもぐりこみました。
「はい、いらっしゃい。」やせた、目のギョロリとした男がいました。買わないといえば、また追い出される。後ろの二人組をやり過ごすには、すこし時間を稼がなくては。
「かいたい が、なに が あるか?」
「うちは、人間より動物だ。ライオン、虎、熊——猛獣なら、任せときな。」
「いちばん たかいのは なにか。」
「いまなら、暴れオオガメ。売値で三千万ってとこだ。」
そういえば、huna は五千万貨幣、といわれていました。それが、どれくらいのお金なのか、una にはわかりません。
「ごせんまんかへい あるか?」
男は、しばらく黙ってから、にやにや笑いました。「五千万か。あるぜ。五千万どころか、一億ってのがある。——雪男って、知ってるか。」
「しらない。」
「世界中の大金持ちが、憧れる珍獣さ。」と、男は一枚の絵をひらひらさせました。毛むくじゃらの、ふしぎな生きもの。「この島でいちばん高い山に棲む、化け物だ。この星でいちばん力が強くて、凶暴で、おまけに数も少ない。プロのハンターが束になって、一年がかりで、子どもをやっと捕まえられるかどうか。値は、天井知らずさ。——だからずっと、入荷待ちよ。死ぬまでに入るかも、わからん。」
una は、しばらく考えて、こういいました。
「これ つかまえたら ごせんまんかへい くれる か?」
「ああ。七千五百万でも、買ってやる。」
「やまは どっちか。」
男は、にやりとして、山の方角を指さしました。

雪男の絵

第十話「雪男」

深夜。
雪明かりにぼんやり浮かぶ山を、una は、手をこすりながら登りました。羽根のついた帽子をかぶってきて、よかったと思いました。
空はすこし明るんできましたが、体の震えが止まりません。あごがガクガクと鳴り、手先も足先もかじかんで、いやな痛みがします。頂上は、まだ遠い。やがて体は、いうことをきかなくなり、まぶたが重く、何も考えられなくなって——una は、自分でも気づかぬうちに、目をつぶっていました。
故郷の星の、夢を見ました。
「ふぉぉぉぉ」という鳴き声で、目が覚めました。
雪男です。山の向こうに、白く動く、大きな生きものの姿。
(あれだ。)una が動こうとすると、足元の雪が、どさどさっと崩れました。その音に、たくさんの雪男たちが、いっせいにこちらを見ました。
「うな が あいてだ!」
una は叫んで、果敢に飛び出しました。——けれど勢いとはうらはらに、雪に足をとられ、一歩ずつ、ゆっくり、慎重に近づくしかありません。
雪男たちは、動きません。それどころか、よく見ると、座っているのです。油断させて、一気に襲うつもりかもしれない。もう一度、「うな が あいてだ!」と叫んでみても、襲ってきません。
遠くの雪男たちは、大きな手を雪に突っこんで、ぐるんぐるんと回し、まるで雪の上を泳ぐように、山を登っていきます。そして頂上にひょいと着くと、ためらいもなく、切り立った崖下へ——次々とダイブしていきました。手を広げ、くるくる回りながら落ちていく姿は、まるで、雪そのもののようでした。
「うなが あいてだ って いったのに」と una はつぶやきました。せっかく見つけたのに、みんな、行ってしまったのです。

夜の雪山を登る

——と、一匹だけ、小さな雪男が、取り残されています。ひとりで、雪だるまを作っているのです。
(あいつは、飛びこみがキライなんだ。)una は、そう思いました。きっと、雪の穴を掘ったり、坂を作ったりするのが好きなのです。あれなら、捕まえられるかもしれません。
una は、雪の上をごろんごろん転がって、近づきました。子どもとはいえ、なかなか大きな体です。雪男は、una が来ても気にせず、黙々と雪を丸めています。
しばらく見ていた una は、ふと思い立って、石を探しました。崖の裂け目に黒っぽい石があったので、それを拾い、雪だるまに、顔をつけてやりました。
すると、雪男が、さびしそうな声をあげました。
(どうした?)と見て、気づきました。——雪男には、顔がないのです。だから、顔のついた雪だるまを見て、悲しげに鳴いたのでした。
una は、石をはずし、かわりに、自分の帽子を、雪だるまにかぶせました。すると、なかなか格好のいい雪だるまになりました。これには雪男も大喜び。ぐるぐる走り回り、帽子をちょこんと触っては、また夢中で雪を丸めます。
次に作ったのは、もっと大きな雪だるま。そして、una をじっと見ます。(こっちにも帽子をのせてほしいんだな。)una が乗せかえると、雪男は飛び上がらんばかりに喜びました。
それを、何度も、何度も繰り返しました。けれど雪男は、一度も、自分から帽子をとろうとはしません。——こいつは、偉い奴だ。人のものを、盗らないのです。
雪男が、ひときわ大きな雪だるまを作ったとき、una は、帽子を、雪だるまではなく、雪男にかぶせてやりました。
すると、どうでしょう。雪男はすっかり興奮して、そこらじゅうを跳ね回り、雪に飛びこみ、大きく吼えました。さんざん飛び回ったあと、大きな指で器用に帽子をつまみ、ゆっくりと、una の頭にのせてくれます。
あんまり嬉しそうなので、「ぼうし あげる ぞ」と、una はまた、雪男にかぶせてやりました。
雪男の指が、震えていました。そして帽子をつかむと、山じゅうに響く雄たけびをあげたのです。
その声で、雪崩が起きました。ドドドドドー、と、雪の塊が津波のように押し寄せます。雪男は una を肩にのせ、雪崩へ向かって——飲みこまれる瞬間、大きく宙に飛んで、雪の波の上に、すとんと座りました。
肩の上の una は、大喜び。雪崩の波乗りを、楽しんだのでした。

子雪男と帽子
雪崩の波乗り
* * *

una は、すっかりこの雪男が気に入りました。帽子をもらった雪男のほうは、それ以上に una になついて、大きな体でのどをごろごろ鳴らし、ぴったり寄り添ってきます。その体は、ストーブみたいに温かい。その晩、una は雪男に包まって、雪山で眠りました。
翌朝。のどを鳴らす雪男に、una はいいました。
「うな のともだち さらわれた。うな のともだち たすけて ほしい」
雪男は、雄たけびをあげました。そして una を肩にのせ、雪山を、弾丸のように滑り降りていきます。
(こいつは、ことば も わかるんだ。)風を受けながら、una は嬉しく思いました。

雪男の肩にのって、una は町に入りました。のっしのっしと歩く雪男に、町の人々はざわめき、窓から顔を出して手を振ります。まるで、有名人のパレードです。
そのまま、赤い建物へ。huna をさらった奴のいる場所です。
受付嬢は、雪男の肩の una を見るなり、「い、いらっしゃいませ、こちらへ」と引きつった笑顔で、マイクに「大至急、全員、応援を」とささやきました。
雪男が壁際にどーんと腰かけ、una がその肩からにらんでいると、奥から、何十人ものスーツの男たちが出てきました。その中に、あの「部長」もいます。
「ひうな を かえせ!」と una が怒鳴ると、雪男が腕を振り下ろしました。ばあん、とカウンターが真っ二つに割れ、破片が飛び散ります。入り口の大男も、頭を抱えてしゃがみこみました。
「ま、まあ、待ちなさい。」と部長。「そんなに暴れられると、よけいに huna さんを、お返しできなくなりますぞ。」
「なんで だ?」
「huna さんは、もう、売られてしまったのです。だから、暴れても、戻りません。」
una は、息が止まるかと思いました。あわせて、雪男もおとなしくなります。
「ここはひとつ、こうしませんか。」部長は、落ち着いたそぶりで続けました。「huna さんを買われた方は、ずっと、雪男を探しておられる。——その雪男と交換すると言えば、よろこんで huna さんを返し、差額も現金で差し上げますよ。」
una は、部長をにらみました。雪男は、ぐぅ、と情けない声をあげます。まるで、言葉のすべてを、わかっているように。
una は、雪男を見ました。大きな体のくせに、なんとも、さびしそうに見えます。
「さぁ、どうされますか。」部長の笑顔が、すこし引きつっています。
——una は、huna に教えてもらったことを、思い出しました。こういうときは、息を、ゆっくり吐く。そうすれば、正しい道が、見えてくる。
「さぁ。」部長の声が、一瞬、震えました。
すかさず、una は大声で、「ひうな かえせ!」といいました。
雪男は、背を伸ばし、手を大きく広げて、床を、たたきました。どどん、と縦に揺れ、建物のガラスがすべて割れて、社員たちの頭上に降りそそぎます。ぎゃー、と逃げ惑う中、雪男は、部長をつかみあげました。
「ひうな を いま かえせ。」
雪男が部長をぐるんと振り回すと、その頭が、すごい速さで地面をかすめます。社員みなが、青ざめて見ています。
una は、すこし心配になりながらも、聞きました。「ひうな かえすか?」
「…………。」部長は、目を見開いたまま、無言で、一点をにらんでいます。
雪男が、もう一度振り上げたとき、社員のひとりが叫びました。「か、かえします! さっきの部長のは、うそです! いま、ご案内します!」
——雪男が下ろしてみると、部長は、目を見開いたまま、気絶していました。

雪男が人さらいを破壊

古いマンションの五階の、古めかしい部屋に、huna と uma がいました。uma は、huna に寄り添っています。
「ウナ!」と huna が叫びました。
「ひうな たすけ にきた」と una。
廊下の白い巨大なものを見て、huna は驚きます。「あれは、何?」
「ゆきお とこ だ。ともだち だ。」と una は、自慢げ。廊下に出ると、雪男は人懐っこく、巨体をすりよせてきました。
「そういえば、雪男は、氷の国の神話にも出てくるわ。——親切な生きもので、国づくりで大活躍するの。」と huna。
それから una は、別の部屋の「鼻」をはじめ、捕まっていた全員を解放させました。人さらいの会社は、これで、店じまいとなりました。

* * *

雪男が加わってから、una の旅は、ほとんど困らなくなりました。すばらしい走りの uma が馬車をひき、「鼻」が目的地を見定め、力の強い雪男が用心棒です。una も huna も、すっかり安心しました。
一行は、森を、どんどん北上していきます。雪男は、uma の馬車に軽々とついてきて、勘が鋭いのか、先回りして障害物を跳ね飛ばすことさえありました。
あるとき、森の中で、光る目の群れに囲まれました。巨大な熊です。
「熊退治の匂いは、いまは持っておらんな。」と「鼻」がいうので、una たちは震え上がりました。けれど雪男は、小躍りしながら熊に近づき、ばーん、と平手で打ちました。熊は、ワイヤーで引かれたように飛んでいき、谷底へ落ちていきます。ほかの熊たちが威嚇の雄たけびをあげても、雪男がその十倍の声で吼えかえすと、いっせいに逃げ出しました。
これ以来、una たちは、どんな猛獣にも、襲われなくなったのでした。

第十一話「森の国」

雪男が加わり、una たちの旅は、ぐっと速くなりました。「鼻」が自慢の鼻をひくらせ、修道服の老人の匂いを追います。uma は、huna がひとことつぶやくだけで進路を変える——まるで、心が通じているようでした。
森の葉の色が、ピンクから、鮮やかなオレンジへと変わっていきます。
「このあたりが、《森の国》のはずだけど……」と、huna は地図を見つめました。
葉の色が、赤から紫へ変わる境のベンチに、小柄で品のいいおばあさんが、座っていました。
「すみません、このあたりに、森の国はありますか。」
「ここが、森の国だよ。」と、おばあさんはにっこり。「ただの森じゃない。赤い森、眠りの森、空腹の森、涙の森、笑いの森——ここは、森の博物館だよ。」
「うな わらいの もり いきたい」と una。
「もう少し行けばビルがあるから、そこで聞くといい。」おばあさんは笑い、それから、ふと真剣な顔になりました。「——ああ、《戻れない森》にだけは、入っちゃいけないよ。一度入ったら、二度と戻れない森だからね。」

「ビル」の意味は、すぐにわかりました。森の中の広場に、高層ビルのような大きな樹が立ち、くりぬかれた各階で、たくさんの人が働いていたのです。広場からは無数の道と看板がのび、さまざまな森へ続いています。
「修道服の老人が、こんなに人の多い場所を通るかしら。」と huna が聞くと、
「いや。匂いは、あの森へ続いておる。」と「鼻」は、一本の道を指さしました。——《戻れない森》です。
「そうだと思ったわ。」と huna は、ため息をつきました。

色とりどりの森

濃紺の森の前に、《 戻れない森 / 立ち入り禁止 》の白い看板。
「どうする。情報を集めてから行くか、いま行くか。——少なくとも、ワシがいれば、迷子にはならんがな。」と「鼻」は自慢げです。
この前、安全策をとったつもりが、人さらいに遭って大きく遅れました。時間のロスは、禁物です。それに、こちらには「鼻」も uma も雪男も、森に慣れた una もいます。
「行きましょう。」huna は看板の横を過ぎ、《戻れない森》へ、歩いていきました。

* * *

「おかしい。」と「鼻」が首をひねります。huna も、同じことを感じていました。さっきから、同じ場所を、何度も歩いている気がするのです。
(この岩は、もう十回は見ている。)
「匂いが、どんどん移動しておる。」と「鼻」。
「目印をつけて、できるだけ真っすぐ歩きましょう。」una が、岩に草をすりつぶして印をつけ、進みました。——しばらく行くと、その印の岩が、また現れます。
「ループしてる。」と huna。
una が雪男の肩にのって走り出すと、あっという間に森へ消え、反対側から、また現れました。
「さて。困ったことになったな。」と「鼻」。

* * *

みなの顔に、疲れが浮かびます。「一度休んで、対策を立てましょう。」と huna。
すると una が、「あの いえで やすめば いい」といいました。
(あの家?)指さす先を見ると、森の中に、白い洋館が建っています。
「いつから、あった?」と「鼻」。
「五分前には、なかったと思う。」と huna。
「たべもの あるかも」と una がいうと、ふいに、タルトの焼ける匂いがしてきました。una は大喜びで駆け出します。
「気をつけろ。」と「鼻」。「どの匂いも、うすっぺらい。偽者くさい。」

* * *

「これは……。」洋館に入った huna は、言葉を失いました。
幾重にも連なるシャンデリア。ガラスの床の下には水が張られ、赤い花びらが浮かんで、きらきら光っています。ドレスや燕尾服の人々が、にぎやかに談笑していました。
「なんだ、これは。」と「鼻」。見れば una は、シャンパン片手に、タルトを頬張っています。
「ウナ、こっちへ。」huna は、あわてて引っ張ってきました。「みんな、一度、外へ。」
外に出ると、森はいつのまにか、夜。雪男と uma が、不満げな声をあげます。
「どう思う。」と「鼻」。
「着替えて、調べましょう。」huna は馬車に入り、「男性用のテイルコートもあったはず。あなたも着替えて。」と「鼻」に。「ウナも、お着替えしましょうね。」——huna は、すこし嬉しそうでした。

幻の大夜会

着替えた huna は、いつもと違って見えました。白いローブ・デコルテに長手袋。女王の気品が、戻っています。una も美しいドレスを着ましたが、どうも落ち着かず、歩き方も変です。「鼻」は、黒いテイルコート。
「少し待っていてね。」雪男と uma に声をかけ、一行は洋館へ入りました。
大夜会が続いています。huna は、この集いの主催者を探しました。主催がわかれば、手がかりがつかめるはずです。——けれど、これほど王族らしき人がいるのに、見覚えのある顔が、ひとりもいません。(やはり、変だ。)
やがてオーケストラが鳴り、声が響きました。「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。主催より、お礼を。」
吹き抜けの二階から、真っ黒なベルベットの服を着た、美しい少女が顔を出しました。「みなさま、ありがとう。パーティはまだ続きますので、どうぞ、ごゆるりと。」
大きな拍手の中、huna は「鼻」に近づき、ささやきました。「おかしなことばかり。——演奏が、大きすぎる。夜会は、会話を楽しむもの。演奏は、それを引き立てる程度にするのが礼儀です。それに、主催者が、大夜会で黒のドレスを着るなんて、ありえない。」
「そんなことより、この食べ物だ。」と「鼻」。「見た目は立派だが、どれも、平面的な匂いしかせん。」

* * *

huna はひとり、吹き抜けを上がり、いちばん豪華な扉を開けました。真っ赤な壁、真っ赤な絨毯。黒い椅子に、あの少女が腰かけています。
「あら、いらっしゃい。あなた、どなただっけ。まぁ、だれでもいいけど。」
「この森から出る方法を、教えてほしくて来ました。」
「なんのことだか。」と少女は、髪をいじります。
「あなたは、パーティを楽しんでいるようには見えません。」
「そりゃそうよ。毎日パーティだもの、退屈もするわ。」
「どうして退屈なのか、教えてあげましょうか。」
「退屈しのぎに、聞いてやってもいいけど。」と、少女はバカにした口調。
「この森から出る方法を教えてくれたら、退屈をなくす方法を教えます。」
少女はイライラと、「バカバカしい」とそっぽを向きました。
「必要ないのね。では、帰ります。」huna が出ていこうとすると、「待ちなさい。」と少女。「聞いてあげる。納得できたら、森から出してあげる。」

黒衣の少女に説く
* * *

「食べて、話して、暮らして——同じことを繰り返していると、いつのまにか当たり前になって、だんだん、つまらなくなる。日常がつまらないからとパーティを始めても、同じ。しばらくは夢中になれても、やがて飽きる。そうして、いつまでも刺激を探して、どこにもたどり着けない。」
「じゃあ、どうやって解決するの。」と少女は、にやにや。
「すべての行いを、丁寧にするのです。」
「丁寧?」少女は、あきれた顔をしました。
「日常は、果物のようにできています。表面を、丁寧に一皮むくと、はじめて果実が出てくる。——お洗濯も、ゆっくり、注意深く、丁寧にやってみると、あれほど面白いものはありません。お食事も、ひとつひとつ丁寧に味わえば、その命の深みに、心が震えます。」
少女の顔が、真剣になりました。
「いいでしょう。」——そう言うと、床が、ぐにゃりと歪みました。真っ赤な壁が、溶けたアイスクリームのように流れ落ち、天井も崩れていきます。あわてる huna に、「大丈夫、幻だから。動かないで。」
液体になった天井が頭に落ちてきても、空気が通り過ぎた感触だけで、髪にも服にも、何もつきません。
気がつくと——美しい青空と、森の木々。ドレスやタキシードを着た子ギツネたちが、歩いていました。una と「鼻」は、びっくりして座りこんでいます。
「あなた、最近には珍しく、まともね。いいわ、森から出してあげる。」と少女。
「待ってください。私たちは、修道服の老人を追っています。出してくれる前に、あの老人の行方を。」
「あの男を追うのは、やめたほうがいい。危険すぎる。」と少女は、穏やかに。
「ロケットがないと、多くの命が失われるのです。」
「仕方ないわね。」少女は、ため息をつきました。「——だったら、わたしの娘を、連れていきなさい。」
「娘?」目の前の少女は、とても母親には見えません。
「血はつながっていないけど、わたしの娘よ。あの子には、幻覚が効かないの。育て方がわからなくて、森に落ちていた、なぞなぞの本を読んで育てたわ。——でも、難しい子だから、気に入られなかったら、あきらめてね。」
そう言うと、少女は、宙に浮かびました。
「とんだ !」と una が驚きます。
「そうだ——支配人にだけは、会っちゃダメよ。あれは、例外。うちの娘でも、危ないかもしれない。」
そう言い残して、少女は、すうっと透明になって、消えました。

幻が溶ける

(支配人。)huna は、その名を、頭の中でくり返しました。古い歴史書に出てくる、昔の権力者の名です。けれど——なぜでしょう。その名を思うと、いつかの、ベールの老人の冷たい声が、「ロケットなど、幻よ」と、よみがえるのです。背すじを、つめたいものが、通りました。
「どうなっておる。」と「鼻」が、ようやく立ち上がりました。
「修道服の老人の行方も、教えてくれなかった。」と huna は、落胆します。
——けれど、さっきまで一行を囲んでいた森の一か所が、ぽっかりと開けて、道になっていました。
「みち だ!」と una が、叫びました。

第十二話「cuna(キューナ)」

その道を歩いていくと、目の前に、水の澄んだ小さな湖がありました。
huna が湖で手を洗おうとしたとき——ふいに、妖精のような巻き髪の女の子が、湖の上を歩いていくのが見えました。体の重さがないみたいに、ふわり、ふわりと、目をつぶったまま。
「あの子よ!」huna が追いかけ、una も「鼻」も馬車も雪男も、必死についていきます。光をあびて宙を浮くその姿は、まるで天使のようです。
「待って!」huna が叫ぶと、巻き髪の女の子は、空中で振り返りました。
「なぁに?」ずいぶん、子どもっぽい話し方です。
「ええと、あなたのお名前は?」
「cuna。」とだけ答えて、また飛んでいこうとします。
「ちょっと、待ってよ!」
「なぞなぞ か?」と cuna。
「なぞなぞ?」huna は、素っ頓狂な声をあげました。
「なぞなぞ ないなら、もう いく。」cuna は、空へ飛んでいきます。
(そうだ、なぞなぞの本で育てた、と言っていた。)——このコが、幻覚の効かない娘に違いありません。
「あー! まって! なぞなぞ、思いついた!」と huna。
「だい じょうぶ か」と una が聞きます。
「ええと——出られない部屋から、出る方法は?」
すると cuna が、にこにこしながら、ふわりと huna の前に降り立ちました。「それ、新しいなぞなぞ か?」
「でられない へや、でられない へや」と、うれしそうに、ぐるぐる歩き回ります。「鼻」まで、なんとなく真剣に考えこんでいます。
やがて cuna は、困った顔になり、「答えは? なあに?」と、泣きそうにせがみました。
「答えは——私たちと一緒に旅をしてくれたら、教えます。」と huna。
「けち! ずるい、答え教えないのに! けちんぼ!」cuna は巻き毛をかき乱して怒ります。
「だったら、教えない。」huna がすたすた歩き出すと、una まで「こたえ おしえて」と言いだしました。——さっきとは、逆。今度は cuna が、「まって! まって!」と、huna を追いかける番です。
「一緒に いくから、教えて。」と cuna は、ふてくされていいました。
「いいわ。ちゃんとついて来たら、ね。」
それきり huna は、いくら cuna がせがんでも、答えを教えようとしません。「もう少ししたら」「いい子にしていたら」と、はぐらかすばかりです。
「ひうな、ずるい。」と una。
「これでいいの。」と huna は、すまし顔で、そっとささやきました。「——答えを教えないかぎり、あの子は、離れていかないわ。」
解けないなぞなぞを、ひとつ、首からぶら下げたみたいに、cuna は、ふわふわと一行についてきます。そうして森の木々が、どんどん開けていきました。

空を歩くcuna
なぞなぞに夢中
* * *

ようやく馬車に乗った cuna ですが、乗ってからは、文句ばかり。はじめは huna がなぞなぞを出さないことを、いまは空腹のことを怒っています。
「なんか くわせろ。」と、向かいの huna にいいました。
「そういう言葉づかいの子に、あげるものはありません。」
「ばーか、ばーか。」
——cuna には、自分が失礼を言っている、という気が、まるでありません。思ったことが、そのまま口から出てくるだけなのです。
「食べ物、あげないからね!」
cuna は、ふくれっつら。小さな声で、「ばぁか。」

そんなやりとりの間も、「鼻」は、ひどく深刻な顔をしていました。
「おなか いたいか?」と una が聞くと、
「おかしい。——修道服の老人の匂いが、しない。」
「どういうこと?」と huna。
「これまでは、断片的にでも、痕跡があった。それが、いまは、まったく消えておる。」と「鼻」は、首を振ります。
「そんな……。」huna は、思わず弱音をこぼしました。車内に、動揺が走ります。——あわてて、huna は言い直しました。「それなら、目撃情報を集めましょう。近くに、生き物はいますか。」
「このまま進めば、小さな村がある。」と「鼻」は、落ちこんだまま、答えました。

* * *

村に入った una たちは、家の豪華さに驚きました。数はわずかなのに、どの家も、凝った装飾と、高価な素材でできています。
huna は、ひときわ豪華な家の前に立ちました。敷地はピンクの大理石、柵には金箔。きらきらした呼び鈴を押そうとすると、ひとりでに柵が開き、口を半開きにした、日焼けして背の低い男が、あくびをしながら出てきました。似合わない金色の服を着ています。
「すみません、人を探しているのですが。黒い修道服を着て、顔に黒いベールをした老人を、ご存じありませんか。」
「さぁ、知らんなぁ。」と、まるで関心がありません。huna が立ち去ろうとすると、男は、妙なことをいいました。
「本気で探してるなら、音の神様に聞くといい。」
「音の神様?」初めて聞く名です。
「ほれ、あの山。山の上に住んでる。動物やら草やらの言葉が、わかるんだ。みんな、お告げをもらおうと、順番を待ちながら、神様の世話をしてる。」
「実際に、会ったことが?」
男は、大きくうなずきました。「この村は、作物も採れん貧しい村だった。それを、村長の息子が、子どものころから並んで、大人になるころ、お告げをもらって——ほれ、このとおり。」と、屋敷と金の服を指さします。
「わかりました。行ってみます。」huna は頭を下げました。
「辛抱したって、聞く価値はあるぞ。」と、男はいいました。

金ぴかの村人

第十三話「音の神様」

林道を、馬車が走ります。今朝の雨の露が、草にきらきら光っていました。地面の下を、水の流れる音がします。
(水をいっぱい飲んで、木もうれしいだろうな。)と una が思うと、それに応えるように、木々がさわさわ鳴りました。

山のふもとに着くと、una たちは目をみはりました。うさぎ、亀、鹿、牛、かえる、おおかみ——おびただしい数の動物が、山頂まで、びっしりと並んでいるのです。列にそって、食べ物屋や薬屋、おまけに風呂屋まであります。
una たちも、最後尾に並びました。けれど、列は、いつまでも動きません。いちばんうしろの小さなねずみは、「どーしよう、どーしよう」と、ぐるぐる回っています。
「どうした か?」と una。
「しらないやつに、話しかけられた、どーしよう。」

動物の大行列

「鼻」が、鼻をひくりとさせました。「この列には、十七万六千七十三匹、並んでおる。一匹に、およそ一時間。」
huna が、すかさず計算します。「一日二十時間、相談したとして——山頂に着くのは、二十四年後ね。」
una は、こっくり、こっくり、居眠り。cuna は、団子屋に釘づけです。

そのとき、風が強くなり、咲いていた花を、レインボーのグラデーションに散らしました。動物たちが頭を抱えて伏せる中、una たちの後ろに、小山ほどもある、とんでもなく大きな鳥が、舞い降りました。
「こいつに乗れ、ということだろう。」と「鼻」。
鳥の背に登るのは、羽根の山をロッククライミングするようなものでした。una は羽根を何本も引き抜いてぶら下がるばかりで、登れません。あきらめて、雪男に頼むことにします。雪男は、una も uma も馬車までも軽々とかつぎ上げ、ひとつ運ぶたび、得意げに una に報告にきました。una は、そのたび、雪男をなでてやりました。
鳥は、みなが乗るなり、una たちのことなど忘れたように、空へ急上昇しました。

巨大な鳥に乗って
* * *

鳥が降り立ったのは、山頂でした。氷でできた山小屋があり、そのまわりに、うさぎ、牛、犬、猿、蛇、すずめ、蟹、らくだ、人食い虎まで——仲の悪そうな動物たちが、礼儀正しく、円をつくって並んでいます。
その真ん中に、黒い髪の、かわいらしい女の子が、ちょこんと座って、動物たちと話していました。
雪男に一人ずつ下ろしてもらい、頭をぼさぼさにしながら、una たちは円のいちばん外に並びました。それを、人食い虎が、ちらりと見ます。
すると、黒い髪の女の子が立ち上がり、「ウナさんたち、ようこそ。もう少しで相談が終わりますので、小屋でお待ちください。」と、子どものような、可愛らしい声でいいました。

巫女sunaと動物の輪

huna は、氷の小屋を、まじまじと見ました。氷の国のお城と、そっくりの質感です。壁にふれながら、残してきた人々のことを思いました。
やがて氷の扉が開き、女の子が入ってきました。「わたしは、スーナ、といいます。」——これが、音の神様。けれど、とても神様には見えません。
その心を読んだように、suna は薄く笑いました。「別に、神様じゃありませんよ。」声は幼いのに、まなざしは、ぞっとするほど静かです。
「さて、時間がありませんね。手短に。」suna は、黒板に図を描き始めました。
「ウナさん。あなたは、純血の una 族。大昔この星に来た、わたしたちの祖先も、あなたそっくりだったはずです。——huna さんも、cuna さんも、わたしも、もとをたどれば、ウナさんの星がルーツなのですよ。」
una は、急に名を呼ばれてびっくりし、なぜか愛想笑いを浮かべました。
「大昔、ロケットに乗った学者たちが、この星へ来ました。その中の一人が、祖先の una。una 族は、数千人にひとりしか子を生みません。その珍しい子が、氷の国で生まれた——huna さんの祖先です。彼女は産んだあと、なんらかの使命を負って、国を出た。道中の森で、また子を生んだ——cuna さんの祖先。そして、この山を登って、わたしの祖先を生んだのです。」
suna は、una を見ました。
「——ウナさんは、まるで、大昔の祖先の道を、なぞって歩いている。何か、深い理由が、あるのかもしれませんね。」
una も huna も、愕然としました。にわかには、信じられません。

* * *

「そうだ。わたしの手作りスープがあります。一度、食事にしましょう。」
suna は、温かいスープをよそってくれました。雪男と uma は、外で動物たちと遊んでいます。cuna はごきげんで「いっぱい いれろ、いっぱい いれろ」と歌い、una も負けじと「うなも たくさん!」。
ところが、ひと口つけた una と cuna は、硬直しました。——この世のものとは思えないほど、まずいのです。cuna は、泣き出してしまいました。「鼻」は、すごい形相でスープをにらんでいます。野生のものを食べ慣れた una たちですら、受けつけない味。huna が食べたら、記憶を失うかもしれません。
けれど、当の suna だけは、自分の料理を、まるで疑っていないのです。

絶望的なスープ

cuna は、泣きやまないまま、すりきれた一冊の本を取り出しました。森で拾った、なぞなぞの本です。huna が答えてくれそうなのを探して、ぱらぱらめくり、一つ、読み上げました。
「——そっくりな ふたり。ほんものは、どっち?」
けれど、誰も答えません。huna は、それどころではないのです。
ただ、suna の目だけが、ほんの一瞬、cuna の本の上で、止まりました。そして、何もいわずに、戻りました。

* * *

「あの……氷の国のことも、知りたいのです。」と huna が切り出しました。「混乱は、ないか。予算は——」
suna は、目を、半分だけ閉じました。
「煙。あ、なにか、こわれた。もうすぐ、血が、出る。」
huna の顔が、こわばります。

ぽつり、と置かれた言葉に、huna は何度も首を振り、天を仰ぎました。
「たくさん死んじゃう。」suna の声は、どこか遠くから届くようでした。

hunaが「それはだめだ!」と大声をだしました。
その声に驚いて、cuna が泣きました。una は、落ちていた布で、涙をふいてやります。

「どうすれば、国は戻りますか。」
「んー。」suna は、だるそうに宙を見ました。「あなたのせい。じゃない。」

それから、「ああ、面倒くさい。」と、ため息をついて目を半眼にします。

suna は、しばらく黙り、また半分どこかへ行ったような声で——
「……ロケット。ロケットで、帰る。それだけ。ほかに道はなし。」

hunaは混乱しました。
「ロケット?それで国は平和になるの?全然何をいっているのかわからない!」

sunaは一瞬目を開けて、皮肉っぽく微笑みました。
「まああなたたちは親戚みたいなものだから特別に全部みてあげる」

そしてまた目を閉じます。
「……見えない。」
suna は、眉を寄せました。
「隠されている。黒い黒い二つの中に。ずっと古いほうと、まだ新しいほう。」
「昔にいて、全部飲み込んだ奴。もういないはずなのに。」
(ずっと古いほう。)——huna の頭に、また、あのベールの老人がよぎりました。

「ロケットは、どちらかに」
sunaが目を開け、上と右を指さしました。

「どちらにいけば?」とhunaが尋ねると
「あなたたちは新しいほうにいきます。私はふるいほうに。そっちのほうが大変だから、あなたたちでは無理。」
「……手伝って、くれるの?」huna が驚くと、suna はうなずきました。

「二手に分かれたほうが、早いですから。」それだけのことだ、というふうに。
huna は、なぜだか、涙がこぼれました。「ありがとう。」——そういって、スープに口をつけたとたん、ばたりと気絶しました。
何度も una が揺すって、ようやく目を覚ました huna は、「……なにが、起きたの?」とかすれ声。
「相当、お疲れだったのね。熱もあるみたい。」と suna。
(ほんとうは、スープで気を失った。)と una は思いましたが、言えません。
cuna は、まだ「まずい、まずい」とぐずっています。音を見るはずの suna は、その泣き声だけは、聞こえないふりをしました。
「わたしの作った、おいしいパンもあるのよ。」——その声に、cuna は、大泣きしました。
「ひうな いそごう」と una がいうと、「鼻」が、何度もうなずきました。

第十四話「幻の崖」

suna は古くからの強い力の場所へ、huna たちは新しくあらわれた強い力の場所へ——二手に分かれることになりました。
馬車の上で、suna にもらった地図を見ながら、「神秘的で、すてきな人だったわ。」と huna がいうと、
「おおばか だ!」と cuna。
「何度いえばわかるの。そういう言葉を、使っちゃだめ。」huna は地図を置いて怒ります。
そのやりとりを横目に、una と「鼻」は、そっと目を合わせました。——なかなか、話のわかるやつだ、と una は思いました。

このあたりは、空気が冷たく、澄んでいます。氷の国を思い出させる寒さに、雪男は、なんだか元気そう。huna の吐く息も、白くなりました。
馬車の小さなストーブに火をともし、ぼんぼりのついた白い帽子をかぶります。una は茶色のコート、cuna は派手な色のコート。
(明日の朝には、着くだろう。)馬車は、冷たい夜を走りつづけました。

* * *

朝、馬車の止まる音で、huna は目を覚ましました。una も cuna も、まだ眠っています。
カーテンをずらすと、外は、いつのまにか、銀世界。ストーブは消えているのに、車内はぽかぽかです。あたたかい場所から見る雪景色は、格別でした。
みんなを起こさないよう、そっと外へ出ます。朝の空気は、ぴりりとして、huna は思いきり息を吸いこみました。やさしく、雪が降りてきます。
——ふと、足元の地面が、やわらかいことに気づきました。振り返ると、馬車が、ありません。
(まさか。)胸に、不安がよぎります。さっきまでの雪景色は、いつのまにか、砂漠のような場所に変わっていました。
(落ち着いて。)huna は、自分にいいきかせました。これは、森のときと同じ。幻なのです。前と同じように、きっと抜け出せる。
けれど今回は、体が鉛のように重く、まぶたも重くて、まばたきさえ、できません。あたりには、自分の呼吸の音だけが、響いていました。

次の瞬間、信じられないことが起こりました。
自分のまつげが、するすると、伸びていくのです。まばたきできずに溜まった涙が、目の高さまでの、透明な小さな海をつくります。伸びたまつげは、水平線をはい、遠くの断崖を越え、はるかかなたへと続いていきました。
(——ずいぶん、悪趣味だこと。)huna は、努めて冷静に、そう思いました。誰の姿も見えないのに、この幻は、まるで、こちらを試すように、ひとつひとつ、丁寧に仕組まれている気がするのです。
やがて、足元に円い亀裂が走り、地盤が、ぐうっと持ち上がりました。huna をのせた岩は、するすると伸びて、雲の上まで届きます。気圧で痛む耳を押さえ、huna は、岩の柱の上にかがみこみました。
冷たい風が、体温を、どんどん奪っていきます。コートを着ていても、ここには、長くいられません。

伸びるまつげ
雲上の岩柱
* * *

「ひうな が いない」と、馬車の中で una が声をあげました。
「鼻」が目をこすり、鼻をひくらせて、首をひねります。「おかしい。ここらには、おらん。」
外では、cuna と雪男が、雪だるまを作っていました。
「きゅーな、ひうな しらんか」と una。
「あんな意地悪、知らない。」と cuna。——「あいつ、なぞなぞ思いつかないから、逃げた!」ぶつぶつ文句をいいながら、cuna は、ふわふわ宙に浮かび上がっていきます。

岩の柱の上で、huna は震えながら、できるだけ冷静に努めました。
そっと下をのぞくと、はるか下に雲、そのさらに下に、小さく地表。
(飛び降りようか。)——これは幻のはず。けれど(もし、幻でなかったら)という考えも、よぎります。
huna は目をつぶり、ゆっくり、呼吸を整えました。(ほんとうの地面は、案外、すぐそこかもしれない。)小石を落として、音で確かめてみる価値はあります。
足元の石を拾ったとき、下から、cuna が、ふわふわ上がってくるのが見えました。
(幻だ。)huna は、cuna にむかって、石を落としました。——ごちん。石は、cuna の頭に当たりました。
(あそこで跳ねた。ほんとうの地面は、あのあたり……?)
「痛い、痛い!」半べそで、cuna が上がってきます。頭を押さえ、huna の前に立ちました。
「あなたは、幻よ。」と huna が震えながらいうと、cuna は痛い痛いと泣きながら、huna をぽかぽか叩きました。
——どうも、様子が違います。
「……本物なの?」
「バカか!」と cuna が、怒りました。

* * *

「ばかばかばか。」cuna はずっと怒りながら、huna を背にのせて、降りていきます。「なんで、あんなとこに逃げた!」
「逃げたんじゃないの。幻に、囚われたのよ。」
「うそつき!」
地上の馬車から、「ひうな!」と una が駆け寄りました。
「ひうな も とんでったのか?」とびっくりする una に、huna は首を振りました。「幻の場所だったの。——早く、抜けましょう。」
「鼻」が、けわしい顔で、あたりを嗅ぎました。「妙だ。怒りも、悪意も、匂わん。ただ——きれいに、仕組まれた匂いだけがする。」
huna は、ぞくりとしました。残酷に嬲るのではなく、ひとつひとつ、丁寧に、こちらを“試す”ような幻。
——まるで、誰かが、私たちの旅のすべてを、初めから、見ているような。
そう思った瞬間、なぜか、あのベールの老人の影が、また胸をよぎりました。
「とにかく、ここは危険だわ。」huna が号令をかけると、馬車は雪を飛ばし、全速力で、その場所をあとにしました。

cunaが救出

第十五話「火の海」

しばらく走ったところで、「鼻」が、ふいに鼻をひくらせ、馬車を止めさせました。
「……戻ってきた。」
「なにが?」と huna。
「修道服の、匂いだ。森の国で、ふっつりと消えていた、あの匂い。——それが、また、北へ続いておる。」
una たちは、顔を見合わせました。あれほど消していた痕跡が、なぜ、いまになって。——まるで、誰かが、わざと、たどらせているようでした。
(あの試練も、この匂いも。)huna は、また、ぞくりとしました。けれど、進むしか、ありません。「北へ。」

* * *

道々、huna は、ずっと無言でした。氷の国の煙、ぶつかりあう声、「もうすぐ、血が出る」という suna の言葉が、胸の底に、黒く、わだかまっています。
夕方、馬車を止めて、野生のいちご畑で、少し休むことにしました。una は両手いっぱいに摘んできて、「鼻」は鍋にはちみつといちごを入れ、una が焦がさないよう、ゆっくりかきまぜます。
熱で、いちごは赤い水になり、とろりと、いい匂いがしました。——その匂いは、huna の胸の奥の、黒いものを、そっと包んで、消してくれるようでした。
(少なくとも、この匂いの届くところは、幸せな場所だ。)と huna は思いました。
こんがり焼いたトーストに、できたてのジャムをたっぷりつけて、みんなで食べました。外で食べるトーストは、ほっぺが落ちそうなおいしさ。cuna は、鍋についたジャムを、スプーンでこそげて食べています。
「鼻」は、何もいわず、ただ、huna を見ていました。
「さあ、行きましょう。」と huna はいいました。

いちごジャムのピクニック
* * *

それから、馬車と雪男は、まる一日、走りつづけました。
朝方。——白い煙と、炎の燃えさかる、海が見えました。
「うその うみ だ。」と cuna。
「鼻」が、窓を少し開け、慎重に匂いを嗅ぎます。「炎の香りに、深みがない。おそらく、偽者だ。」
「海の中へ。」huna の号令で、馬車は、炎の海へ、勢いよく走りこみました。una は、目をつぶり、耳をふさぎます。
——馬車の外は、まるで、海の中でした。けれど、水は一滴も、入ってきません。車輪の音は地面をとらえ、振動は陸そのものなのに、窓の外だけは、海の底へ、底へと、沈んでいきます。魚が、すうっと泳いでいきました。
やがて、馬車が止まりました。huna が思いきって扉を開けると、そこは、本当の海の底のようでした。澄んだ水の向こうに、大きな箱のような、白い舟が、見えます。
「わー!」una は外へ飛び出すなり、箱舟へ駆け出しました。cuna は、海の中を泳ぐように、ふわふわと追いかけます。
huna と「鼻」が馬車をひいて、その白い舟に、近づきました。
近くで見ると、見たこともない大きさです。継ぎ目もなく、つるりとして、扉らしきものも、見あたりません。
「これが、ロケットなのかしら。」huna は、白い壁に手をあてました。冷たく、つるつるして、叩いても、押しても、びくともしません。「鼻」も、さまざまな角度で嗅ぎ、首をひねります。「……入り口の匂いが、せんな。」
ぐるりと一周しても、どこにも、入れそうな場所は、ありません。
すると una が、ふと、壁のある一点に、ぽん、と手をふれました。
——音もなく、扉が、開いたのです。雪男も馬車も、そのまま入れそうな、大きな扉でした。
「開いた!」と huna が、声をあげました。una も、自分で、びっくりしています。

偽りの炎の海
海底の箱舟

第十六話「箱舟」

箱舟の中に入ると、壁が、ロケットに似ていました。
青白い光のもれる扉を開けると、そこには——透明な氷の柱が、ずらりと並んでいました。柱の中には、大昔の服装をした人たちが、眠っています。「麝香牛が、おる。」と「鼻」。見たこともない巨大な生きものまで、眠っていました。
ひとつずつ確かめながら奥へ進むと、服装が、だんだん、新しくなっていきます。una は、いちばん奥へ走り出しました。
「いたーー! うなの なかま、いたーー!」
奥の柱には、ロケットに乗ってきた仲間たちが、たくさん眠っていたのです。una が柱を叩いても、びくともしません。
駆け寄った huna が、「あ」と声をあげました。una の叩く柱の、すぐ隣に——huna に、そっくりの女の子が、眠っていたのです。

氷の柱の眠り

huna が、柱の下の光るパネルにふれたとき、低い声が、響きわたりました。
「ついに、ここまで、来たか。」
そこに、修道服の老人が、立っていました。
「やはり——ベールの老師様だったのね。」と huna。
ベールの老師は、黒いベールを、はずしました。影のある、鋭い目をした老人です。
una は、はっとしました。列車の中で本をくれて、氷の国の入り口で、世話になった、あの人なのです。
「種明かしを、せねばなるまいな。」ベールの老師は、静かに、語りはじめました。

法王ベールを取る
* * *

「むかし、われわれの祖先は、すべてを小さな箱にやらせて、栄えた。やがて箱は背き、星は、自滅した。」
——una と huna は、氷の宮殿で見た、あのタペストリーを思い出しました。
「逃げのびた識者が、この星に、氷の国をつくった。その中でただ一人、あなたがた una 族の祖先だけが、同じ過ちが繰り返されることを、恐れたのだ。」
「彼女は、すべての知を、小さな箱に納め、ほかをこわし、この箱舟をつくって、種を眠らせた。そして、子を——氷の国に、森に、山に、託しながら、たった一人で、生きた。」
(huna、cuna、suna の、祖先。)
「死ぬまえ、彼女は、遺した。『この未来を継ぐに、ふさわしい者を、探せ』と。——その役目を、私に。」

ベールの老師は、すこし、目を伏せました。
「私は、彼女が、敵の子として引き取り、育てた者だ。私の父は、人の心をあやつり、この星を闇に沈めた男。——彼女が、封じた。その、忌まわしい力を、私は、継いでいる。」
una のうしろで、退屈した cuna が、なぞなぞの本を、ぱらりとめくり、ひとりごとのように読み上げました。
「——わたしより、年上の、わたしの子ども。だあれ?」
誰も、答えません。ベールの老師の声だけが、続きます。
「遺言のため、私は、長く、長く、ふさわしい者を探した。そして——あなたが、空から、落ちてきた。あの偉大な祖先に、生き写しの姿で。」と、una を見ました。
「私は、あなたが祖先と同じ道を歩むよう、陰で手を回した。試練のいくつかも、私が仕組んだ。——最後の、幻の崖も。あなたがたは、見抜いた。もう、疑いはせぬ。」
「この箱舟で眠る、あなたの仲間も——博物館で標本にされた、あなたの道連れも。すべて、私が、ここへ集めた。」

* * *

ベールの老師は、小さな白い箱と、銀色の鍵を、huna に手渡しました。
「この箱舟も、未来の鍵も、あなたがたのものだ。好きに、使うがいい。」
それから、声を、ひとつぶんだけ、低くしました。huna にだけ、届くように。
「——ただ。眠る者を起こし、帰る道をひらくには、代償がいる。」
「代償?」
「だれかが、かわりに、その冷たさを、引き受けねばならぬ。眠る者すべての、かわりに——ひとつの、温かい命が。」
huna は、まばたきも、しませんでした。仲間の柱のあいだを、嬉しそうに駆けまわる una を、じっと見ていました。そして、静かに、聞きました。
「……みんなが、助かってから。それで、いい?」
ベールの老師は、長いあいだ、huna を見つめ、それから、ほんの少しだけ、目を細めました。
「——あなたなら、そう言うと、思った。」
huna は、誰にも、言いませんでした。

ベールの老師は、扉のほうへ、歩いていきます。
「私の役目は、これで、終わった。」
その背中は、ひどく、ひとりぼっちに見えました。長い長いあいだ、亡き人の遺言だけのために生きてきた、敵に育てられた子の、うしろ姿です。
una が、とことこ追いかけて、ポケットから、あのキャンディを取り出し、「あげる」と、さしだしました。
ベールの老師は、ふりむいて、それを、じっと見ました。そして、受け取ると、ベールの奥で、ほんの少し、笑ったようでした。
扉が閉まると、もう、その姿は、ありませんでした。

* * *

「時間がない。」と「鼻」が、huna を、われに返らせました。そうです、これからが、本当の目的なのです。
huna は、銀色の鍵を、una の眠る柱に、差しこみました。すると、氷が、煙のように消え、中の una が、ことんと倒れこみました。
「ねむい。」と、起こされた una。
huna は、つぎつぎ、柱を解いていきました。船の中は、たくさんの una で、いっぱいになります。
そして最後に、huna は——自分そっくりの子が眠る柱に、鍵を差しこみました。
氷が消え、白いパイロットスーツを着た huna が、ことんと倒れこみます。女王 huna は、その子を、抱きとめました。
(信じられない。)どちらが自分なのか、わからなくなるほど、そっくりなのです。
見つめあう二人のあいだに、una が、ひょいと顔を出しました。そして、女王 huna に「ひうな、こっちは ひうな です」といい、“パイロットスーツの huna”にも、「ひうな、こっちは ひうな です」といいました。
「これは、すごい。」と「鼻」。船の中は、たくさんの una と、二人の huna で、いっぱいです。cuna も uma も雪男も、大勢の una に大よろこびですが、それどころでは、ありません。
「これを操縦して、una の星まで行かねばならんが——操れる者は、おるか。」と「鼻」。
「たぶん、私が、できます。」と“パイロットスーツの huna”。声まで、女王 huna と、まったく同じでした。
「お願いします。」と女王 huna。
そして、たくさんの una に向かって、こういいました。
「una の星へ、向かいます。」
「はーい!」と、大勢の una が、こたえました。

そっくりな二人のhuna
たくさんのunaで満ちる船

第十七話「かつての星へ」

“パイロットスーツの huna”が、操縦席につきました。その横で、女王 huna が、見つめています。何もいわなくても、意識が通じあっているようで、二人のあいだには、言葉がいらないようでした。
“パイロットスーツの huna”は、少しも迷わず操作盤をたたき、箱舟は、あっという間に、宇宙へ飛び出しました。
たくさんの una が、大きな船の中を、探検して歩いています。一緒に旅をしてきた una は、服装でわかるのですが、これだけ大勢いると、ややこしい。
「これだけいるから、あなたのことは、ウナって呼ぶわね。」と huna がいうと、ウナは、にんまりしました。

ウナは、窓に顔をはりつけて、ふしぎな星を見ました。海が、きらきらと光を返しています。海岸はどこまでも続き、ひと気のない工業地帯のよう。星の水没は、まだ、そこまで進んでいないようでした。
ウナは鼻をひくひくさせ、仲間の匂いを、かごうとしました。胸の奥が、張り裂けそうに、高鳴ります。
「あそこに、いるー!」
huna の目にも、小さな影が見えました。水浸しの土地の上で、たくさんの una たちが、うれしそうに、手を振っています。——まるで、世界ぜんぶが、祝福してくれているようでした。
ついに、仲間たちを、迎えにくることが、できたのです。

星へ帰る箱舟
* * *

箱舟の中は、たくさんの una で、にぎわいました。
「せいれーつ!」とウナがいうと、大勢の una は、にやにやしながらも、ちゃんと並びました。cuna は、una たちに、なぞなぞを出しては、よろこんでいます。
“パイロットスーツの huna”が、流れるような指さばきで、進路を、氷の国へ。女王 huna は、目を閉じ、国のことを思っています。
「鼻」は、ウナの星で摘んできた、めずらしい白い花を、調合していました。「あと十分で、星に到着。そのまま海へ潜り、氷の国の海へ、着陸です。」と“パイロットスーツの huna”。
箱舟が、ふしぎな国の海に着水し、ずとーん、と大きな水柱をあげました。海に入るなり、船内のモニターに、氷の国が映ります。——街のいたるところから、黒い煙が、立ちのぼっていました。
それを見る huna に、uma が、すり寄ってきます。
「これで、国中を走りまわれ。」「鼻」が、ウナの星でとってきた白い花びらの袋を、huna に渡しました。「心が、穏やかになる香りだ。」

huna は、uma にまたがり、すごい速さで、国中を駆けぬけました。
公園で争う人々の間を抜け、襲われたスーパーの前を走りぬけます。驚いた人々は、花の香りに、心をやわらげられ——そして、馬上の女王を、見ました。
「女王が、戻った。」——歓喜の声が、国中に、響きました。
空からは、白い雪が、たくさん降りそそぎ、黒い煙を、消していきました。
huna が城へ駆けこむころには、国じゅうの人々が、お城に詰めかけていました。すべての神官も、大臣も、侍女も、最敬礼をしています。あのおしゃべりな侍女が、涙を流して、「女王様、お帰りなさい。」といいました。
神官たちも大臣たちも、晴れ晴れとした顔をしています。
「さあ、女王様。国民が、待っております。」と、老神官。
huna は、城壁へ向かいました。そこには、ウナが、待っていました。
「すごい ひとだかり だ。」とウナが、うれしそうに。

女王馬で国を駆ける

huna が城壁に姿を見せると、国民は、大かっさいをあげました。
「わたしのいない間、苦労を、かけました。」——大歓声と、泣き崩れる声が、聞こえます。
「この旅で、わたしは、大切なことを、学びました。」と huna は続けます。「ひとりは、弱い。わたしも、何度も、くじけそうになりました。——でも、仲間は、本当に、強かった。」
国民は、息をのんで、聞いています。
「隣の人は、なんのために、いるのでしょう。——わたしが、隣の人を助けるために。隣の人が、わたしを助けるために、いてくれるのです。」
huna は、ウナを、じっと見つめました。ぼろぼろと、涙がこぼれ、感極まって、言葉が、出てきません。
huna がしゃべらないので、国じゅうの視線が、ウナに集まりました。
そこで、ウナは、こういいました。
「うな みんな すき だ。」
——ウナは、みんなのことが好きなので、みんなも、ウナのことが好きなのです。
huna も、cuna も、「鼻」も、雪男も、国民も、みんな、よろこんで、拍手をしました。

城壁の再会
* * *

氷のお城では、連日、お祝いのパーティがひらかれました。
cuna には、おやつ食べ放題と、なぞなぞの本でいっぱいの部屋が、あたえられました。一度入ると、夢中になって、出てきません。「鼻」は、専用の香りの工房をもらい、毎日、うっとりする匂いがただよっています。ウナは、特別に「いちごパンの香水」を、作ってもらいました。
箱舟に眠っていた生きものたちは、ひとつずつ解かれ、それぞれの生まれた場所へ、帰っていきました。その中にいた、昔の名医が、ネムルさんの奇病を、あっさり治してしまいました。すっかり元気になったネムルさん夫婦は、お城の園芸を、まかされることになりました。
ウナも、女王 huna も、“パイロットスーツの huna”も、cuna も、みんな、笑っています。夜になっても、眠るのが惜しいくらいでした。

ウナと、女王 huna と、“パイロットスーツの huna”は、ずっと一緒にいて、少しの時間も惜しむように、いろんな話をしました。
女王 huna は、みんなと話しながら、胸を騒がせる、高揚と、せつなさを、感じていました。
——なにかが、終わり、なにかが、はじまる。外は、もう、明るくなってきています。生きることは、すばらしい、と、あらためて思いました。多少、苦い思いだって、あるけれど、でも、やっぱり、すばらしい。
世界には、こんなに美しいものがあるのに、いつも、忘れてしまう。忘れたくないのに。
(この気持ちを、あの小さな箱にでも、とっておけたら。)と、女王 huna は思いました。いつか自分は、高慢で、思いこみの激しい女王に、なってしまうかもしれない。そんなとき、この気持ちを、見ることができたら、きっと、やさしい気持ちを、取りもどせる。
——本当に、こんな気持ちが、ずっと続けばいいのに。そうだったら、いいのに。

* * *

「ひうな。」と、ウナが、声をかけました。
女王 huna と、“パイロットスーツの huna”が、同時に、振りむきます。
「これからも、いっしょ か?」とウナは聞きました。——ずいぶん、しゃべり方も、自然になってきています。
「もちろん。」と答えたのは、“パイロットスーツの huna”だけでした。
同時に「もちろん」と答えようとした女王 huna は、声が、出ませんでした。
——ここに来て、あの、自分で選んだ約束が、果たされるときが、来たのです。
女王 huna は、がくん、と膝を落とし、そのまま、後ろに倒れこみました。頭の冠が、じゅうたんに、転がります。
「ひうな、ひうな!」ウナは、必死に、呼びかけました。けれど、huna の体は、どんどん、冷たくなっていきます。眠る者たちから、huna が引き受けた、あの冷たさが——いま、戻ってきたのです。
「お医者さんを、呼んでくる!」“パイロットスーツの huna”が、寝室を、飛び出していきました。
huna の手をにぎりしめて、ウナは、いいました。
「うな、じも かけるぞ。」
すると、女王 huna は、かすかに、うなずきました。——それが、最後でした。
「りょうりも、できるように なった。」といっても、
「あいさつも、できるぞ。」といっても、もう、答えては、くれませんでした。

女王hunaの死
* * *

あまりに突然の死に、神官たちは、混乱しました。国は、ようやく再建にむかったばかり。ここで女王が死んだと知れたら、どうなることか。
緊急の話しあいのすえ、神官たちは、“パイロットスーツの huna”に、女王の代役を、頼みました。
“パイロットスーツの huna”は、ショックで、感情のない人形のように、なっています。ウナは、女王 huna の手を、にぎったまま、離そうとしません。
侍女に手を引かれ、奥の部屋で女王のドレスを着て出てきた“パイロットスーツの huna”は、どう見ても、女王 huna そのものでした。神官が冠をかぶせた、その瞬間——表情が、変わりました。まるで、別の人になってしまったように。
そして、涙が、こぼれはじめ、いつまでも、止まりません。
その涙を見て、ウナも、ようやく、女王 huna の手を、離しました。
深い息を吐いて、“パイロットスーツの huna”は、いいました。その口調は、女王 huna、そのものです。
「あなたに、お願いがあるの。理由は、説明できないけど——どうしても、そこに、行ってほしいの。」
ウナは、泣きながらも、うなずきました。
神官たちは、鳥肌が立ちました。もしかすると、死んだのは、偽者のほうだったのではないか、とさえ、思ったのです。
女王 huna は、氷の棺に納められ、箱舟の、氷の柱の中へと、運ばれました。
お城で、ひっそりと葬儀がいとなまれているころ——ウナはもう、ずいぶん遠くまで、旅に出ていました。“パイロットスーツの huna”が教えてくれた、地図にも、のっていない場所へ。

第十八話「エピローグ」

はるばる歩いてきた道の先に、木でできた、小さな看板が立っていました。
《 この世の果て 》
奇妙な場所でした。広い草原で、草も、木も、花もあるのに——生きものが、いません。そのせいか、自分の足音と、息づかいだけが、やけに大きく聞こえます。
歩いていくと、すこし先に、空中に、まっ黒い影のようなものが、浮かんでいました。近づくと、思ったより大きく、そこだけ、なにも見えません。
手を伸ばせば届きそうなところで、ふと、足元を見ました。——影は、すこしずつ広がっていて、影に入った草が、色をなくし、ぼろぼろと、崩れていくのです。
あわてて逃げようとすると、影は、あたりに、いくつもできていました。どれも、ぶるぶる震え、すこしずつ、大きくなっています。ふれられた草も花も、あっという間に色を失い、崩れていきます。左右から、巨大な壁のような影が、ぞぞぞと迫り、見上げれば、上からも、影が滝のように落ちてきました。

広がる黒い影

ウナは、必死に、あたりを見まわしました。
——黒い柱の向こうに、色が、見えた。たくさんの蝶が、飛んでいます。
近づくと、すごい風で、押し戻されそうになりました。この風が、黒い影を、はじいているのです。蝶の、羽ばたきの風。
ウナは目をつぶり、蝶のいちばん少ないところで、飛びこみました。ばさばさばさ、と、体じゅうに蝶が当たり——あたりは、まっ黒な影に、包まれました。

* * *

蝶のなかは、とても穏やかな場所でした。まるで、台風の目のように、風もなく、おだやかです。
黒いドレスを着た女の子が、ふたり、座っていました。
「あらら」と、オレンジの髪の子。
「おきゃくさま」と、白い髪の子。
「おもてなし、しましょう。」「紅茶は、好きかしら?」「偶然にも、ちょうど一杯ぶんの紅茶と、お湯があるの。」「まぁ偶然。でも、これは、失敗できないわ。」
白いテーブルと椅子。ふたりのまわりには、蝶が舞い、風の柱をつくって、影を押しやっています。
「お姉さま、問題が起きています」と、白い髪の子。「お砂糖を入れたのか、お塩を入れたのか、わかりません。」
「困ったわね。口をつけて、味見するわけにも、いかないし。」と、オレンジの髪の子。
ウナは、あっけにとられました。上も下も右も左も、まっ黒な影に覆われているのに、この子たちは、とても楽しそうなのです。
ウナは、塩味の紅茶を、すすりました。
「どうかしら?」
「しょっぱい。」
ふたりは顔を見合わせて、「ところで、あなた、どなた?」
「うな だ。」というと、ふたり揃って、「DUNA(デューナ)よ。」といいました。

DUNA姉妹

ウナは、いままで起きたことを、ぜんぶ話しました。長い、長い話になりました。ふたりの DUNA は、うとうとしながら、つつき合いながら、それでも聞きました。やがて、ふたりが、すっかり眠ってしまったとき、ウナの話も、終わりました。
三人は、そのまま、眠りに落ちていきました。

* * *

ウナが顔をあげると、目の前に、楽園が広がっていました。
緑の草原が、どこまでも続き、実のなった木で、小鳥がうたい、子犬が、湖のそばを駆けていきます。
夢だったのか、と思いましたが、ウナがうつぶせていたのは、あの白いテーブルセットでした。紅茶のカップも、同じ。けれど、空には、青空が広がっています。
「おはよう。」と、オレンジの髪の DUNA が、おいしそうなホットサンドとスープを持って、声をかけました。
「ここは、どこか。」
「ここは、天国よ。」
「そしてここは地獄。」と、後ろから、白い髪の DUNA の声。
ふりむくと、恐ろしい光景でした。大地は枯れはて、重い雲がのしかかり、青い体の、四つんばいの、熊のような生きものが、よだれをたらし、いらいらと、歩きまわっています。
天国と地獄の境目には、たくさんの蝶が、とまっていました。一匹の生きものが、ホットサンドの匂いに釣られて、近づいてきます。
すると、オレンジの髪の DUNA が、いいました。
「天国から地獄は、見えても、地獄から天国は、見えない。」
熊のような生きものは、来るのをやめ、あたりを、さまよいはじめました。
「あれを、鬼とか呼ぶ人も、いるわ。」と、白い髪の DUNA。
ウナは、自分が、死んでしまったのかと、思いました。けれど、手を見ても、いつもと、変わらない気もします。

天国と地獄の境

「ええと、お友達の女の子を、生き返らせたいって、話だったわよね。」と、オレンジの DUNA。
「いきかえらせるのか?」とウナは、驚きました。
「そんなこと、言ってないんじゃないの。」と、白い DUNA が、こっそり、ささやきます。
「だって、しょうがないじゃない。あなただって、どういう話か、聞いてた?」
「聞いてなかったけど。生き返らせたいの? なんて、自分から言う?」
「だいたい、そんな話かと、思ったのよ。」
「規則違反よ。」と、白い DUNA。
「ともだち いきかえるのか?」とウナは、真剣な目で、聞きました。
ふたりは、すこし困った顔をして、「内緒よ。」と、答えました。

* * *

ふたりの DUNA に連れられて、ウナは、ふしぎな場所に、たどり着きました。
荒れはてた、岩だらけの場所の、まんなかに、竹でできた、小屋のようなもの。——その大きな竹のなかに、huna が、いました。
「ひうな!」とウナは、大きな声を出しましたが、まったく、聞こえていないようです。
「地獄の側からは、こちらは、見えないの。」と、白い髪の DUNA。
「ひうなが、じごく か?」
「自分の命を、約束に、差し出してしまったでしょう。ああすると——魂は、こういう場所に、つながれるの。」「でも、この子は、いいことを、たくさんしたから。特別な、やさしい地獄ね。」と、ふたりは、かわるがわる、いいました。
「あの小屋で、彼女は、外を見て、すわって、昔の新聞を読んで、また外を見て、服をたたんで、また新聞を読んで、掃除をして、また、同じ新聞を読む。」「食べる必要も、眠る必要も、ないからね。」「何をしてもいいの。ただ、あそこから、出られないだけ。」
「ひうなを、たすけて。」とウナは、懇願しました。
けれど、ふたりの DUNA は、「地獄にいるものは、手助けできないの。」といいました。「それでも、いつか、気づくでしょうから。」「それまで、ここで、待ちましょう。」
「いつか。」とウナは、不安げに、聞きました。
「ここには、時間もないから——いつまで、とは、いえないわ。」

* * *

閉じこめられた huna は、なんとか、竹の小屋から出ようと、いろいろ試しました。竹の接合部を広げようとし、スプーンの柄で、壁を、すこしずつ削りました。けれど、ふしぎなことに、何をやっても、すぐに、元に戻ってしまうのです。
huna は、外を見ました。部屋には、ずいぶん昔の日付の、新聞が一部。しかたなく、それを読んで、また外を見て、服をたたんで、掃除をして、また、同じ新聞を読み、深いため息をついて、眠りました。
朝、目を開けるとき、すべてが夢であってほしいと、願いました。けれど、そこは、やはり、竹のなかでした。
ずいぶん、時がたったように思えたころ——huna は、新聞を、読むのを、やめました。外を見て、すわって、服をたたみ、掃除をします。
やがて、服をたたむのも、やめました。また、長い時が過ぎ、立って歩くのも、やめました。すると、部屋が汚れることもなくなり、掃除も、やめました。
そうして huna は、外を見ること以外、すべてを、やめました。
また、長い時が過ぎたとき、彼女に、変化が訪れました。——外を見ることを、やめたのです。
けれど、彼女は、あるものを、見はじめました。外の風景ではなく、自分の、心のなかを。
やがて、心を見つめつづけた彼女は、「huna」という役を、演じることを、やめました。どこまでも、深く、深く、リラックスしていきます。
(どうして、これに、気づかなかったのだろう。)——「自分」というものを、消してみると、最初から、世界と、つながっていたのです。
そのとき、ふしぎなことが、起こりました。「自分という意識」と、いっしょに、彼女をかこっていた「竹」も、消えたのです。
荒れた岩場だと思っていた場所は——緑ゆたかな、草原でした。

竹小屋の解脱
* * *

それを、じっと待っていたウナですが、肝心なときに、眠っていました。
「さて。このコは、返してあげなきゃ。」と、ウナを見て、オレンジの髪の DUNA。
「そうね。疲れてるみたいだから、氷のお城の、ベッドに戻しましょう。」と、白い髪の DUNA。

自由になった huna に、ふたりは、いいました。
「あなたに、生き返ってほしいんだって。」「あなたは、自由よ。」「天国に、いくことも、できるわ。」
すると huna は、「天国も、同じでしょう。なにも、することが、ないんだから。」と答えました。
「でも、よかった。生き返ったら、ずっと una と、いっしょに、いられる。」
オレンジの髪の DUNA が、困ったように、いいました。
「生き返るって、いったって——また、赤ちゃんから、よ。」
「死んだ状態から、すぐ、戻るんじゃ、ないの?」と huna は、驚きました。
「それは、無理よ。」と、白い DUNA。
「そんな……」と、声を出そうとして、huna は、まぶしさに、目を、開けていられなくなりました。
(また、生まれるんだ。)と、彼女は、感じました。
「あなたは、前世で、なかなか良いことを、してきているから……ふたつ、特技を、もらえるわ。」
「特技は、なにが、いいって?」
「操縦の技術と、お供の、uma。」
「だったら、それは一流の操縦技術とuma になるでしょう。」
「ちょっとだけ、過去に戻してあげるくらいなら、できるけど。」「本人に、聞いてみようか?」
白い髪の DUNA が、光に近づいていって——「彼女、やるって。」
huna の体は、どんどん上へあがり、やがて、見えなくなりました。

* * *

——ウナが、ロケットで着くより、ずっと前のこと。
その日、氷のお城の近くで、ひとつの命が、生まれました。とても美しい、気品のある、女の子の赤ちゃんです。
この子こそ、huna の、生まれ変わりでした。
ふしぎなことに、その子は、大人になってから、“パイロットスーツの huna”と、呼ばれたのです。そして、空から飛んできた女の子と、奇妙な旅をしました。
やがて、すべてを思い出した“パイロットスーツの huna”は、正統な、氷の国の女王となり、ともだちのウナや、たくさんの仲間たちと、しあわせに、暮らすことになりました。

よみがえった星

<第一部「una とふしぎな星」・完>

——una と、女王 huna と、cuna は、また、別の旅に出ることになるのですが。
そのお話は、また、いつか。

あとがき

このお話を書いたのは、もう二十年以上も前のことです。

当時のわたしたちは、una というお人形を、お金も実績もコネクションもなく、世に出そうとしていました。

人形をつくれる工場を探し、工場をたずね、予算不足で断られ、また別の工場を探す——その繰り返しでした。

資金はわずかな自分たちの貯金。これも途中でだまし取られてしまうのです。

あのときは3日間寝込み、もう何もかも終わりだ、と思いましたが、それも懐かしく思えます。

いまになって思えば、

このお話——星が水に沈みかけ、小さな una が、ロケットと仲間をさがして、たったひとりで歩きつづける物語は、

そのころのわたし自身を、お話として書いていたのですね。

読み返していて、そう感じました。

少し当時の記憶を思い出してみると

お話を書くタイミングは、必死で商品を準備して、気持ちも体力もギリギリになっている「発売日の直前」だった気がします。

新しい商品、たとえば huna の準備ができた後に、逃げ回っていたお話づくりに取り掛からなくてはいけない、と腹をくくります。

どうして、お話づくりから逃げたくなるかというと、そこには葛藤があったからです。

* * *

私のお話の作り方は、とにかく、目の前のお人形と向き合うことです。

huna を、眺め、考え、離れ、また眺める。それを繰り返していくと、ぼんやりと、目の前の商品の意味が、わかってきます。

工場でつくられたお人形だったものが、いつのまにか、ちゃんと存在する「なにか」になっている。

この huna は、こういう場所で、こんなふうに生きてきて、こんなふうにいなくなっていく——そういうものを、お話に当てこんでいくのです。

見えるまでは苦しいのですが、わかった瞬間は本当に楽しく、創作の楽しさを感じさせてくれる瞬間です。

ところが。

この自分が受け取った情報を、素直にお話にする訳にはいかないのです。

これは、個人が借金を抱えてつくった人形です。大前提として、売り切らなくてはいけないのです。

たとえば、huna は少しずるい部分があって、suna はもっと皮肉屋だ——そう感じても、

それをそのままキャラクターの設定にして、もし売れなくなったら。

銀行への返済ができなくなってしまう。

工場への支払いができなくなる、縫製屋さんにも、輸入や通関の費用も払えなくなる。

最初の una が完売したおかげで、小さな法人にはなったけれども、一回失敗したら、もう終わりです。

それを日々痛感しているなかで、新商品の紹介ともいうべきお話に、いじわるや皮肉屋、というお話を書く勇気がなかったのです。

だからどのキャラクターも優等生的な立ち振る舞いになり、自分自身も創作に邪念が入っているのを感じているので

お話をつくるのが億劫になっていくのです。

* * *

以前から、una のお話が好きだから、再掲載してほしい——そんなメールを、ときどき、いただくことがありました。

私自身も、販売からずいぶん経っていて、当時書けなかったちょっといじわるな suna や、すこし変な cuna や huna などを元の場所に収めてみたいという気持ちがありました。

しかし、もうひとつの課題があり、お話の公開をずっと保留にしてきました。

それは当時からの課題でもある、お話の挿絵がイメージ通りに描けないという問題でした。

いつか時間ができたら、じっくり絵に取り組もう。そう思いながら、二十年近くが、経ってしまいました。

このままでは、たぶんもう二十年たっても、una のお話は完成しない、と思い、心苦しい話ですが、生成AIをつかって、作画を完成させています。

ベースとなるキャラクターは自分で描き、それをAIで清書させて、背景と組み合わせて、挿絵をつくっています。

創作の肝心な部分にAIを使うかは迷いましたが、いまの自分の役割は、まずお話を再掲載することだと割り切り、いまの形にしています。

ご存じのように、AIでイメージ通りの画像をつくるのはほぼ不可能です。

おかしな挿絵もありますが、今回は、どうかご容赦いただければ幸いです。

* * *

今回のお話を仕上げるにあたって、ひさしぶりにお話を全部読みました。

最後の結末のほうは、自分でもすっかり忘れていましたが、

希望をもって終えることができたのは、una を愛してくださる方がいるからだと改めて感じています。

私の役割は、この una の世界につながる窓を、少しだけ増やしていくことだと思っています。

これからも una のことを見守っていただけると幸いです。

2026/6/4 moof

unaの後ろ姿